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鹿饅頭の話

こんにちは。

豊岡にUターンして5年目、彫刻家として活動している美藤 圭です。

皆さんは「鹿饅頭」というお菓子をご存知でしょうか?

豊岡で育った人なら1度は食べたことがあるのではないでしょうか。
自分は幼い頃、誰かからのいただき物で食べた記憶はありますが、どこで買えるのか、お店の名前も知らないままでした。

 

豊岡にUターンした年に、豊岡市唯一の映画館、豊岡劇場のロビーで聞こえて来た会話。

「鹿饅頭ってどこで買えますか?」

「ここからすぐ近くやで。朝早く行かんと無くなってることも……」

え……!この近くに?!

会話に混ざってお店の場所を聞くと豊岡劇場から歩いて1分かからないほどの距離にあるとのこと。

ありました!

ここかー!

お店の名前は

一柳堂(いちりゅうどう)

「鹿まん十」と書かれたのれんが目印です。

お店に入ると土間のレトロなショーウインドーの中にお菓子が並んでいます。

そしてこれが皆さんご存知、鹿饅頭

薄焼きの饅頭の皮に鹿の焼印。 中身は白餡です。

あぁ……これこれ。

懐かしいなぁ。

購入するとこんな紙袋に包んでくれます。

か……紙袋もレトロでかわいい!

絵描きの妻と共に拠点としている&ギャラリーからも近いので、お店の場所を知ってからは友人やお世話になった方へのお土産として度々買いに通うようになりました。

勿論、自分達のおやつにも。

しかしあるとき、

また鹿饅頭食べたい!

と思ってお店に行くと、棚にはひとつも置いてありませんでした。

「え…朝早く来たのに……?!」

するとおばちゃんが出て来て

「ごめんね、今日は鹿饅頭はお休みなんですよ。

代わりに最中を少し作ってあるけど食べますか?」

「えー知らなかった!最中があるの?!食べたいです!」

注文があれば作るこの最中は店頭には殆ど並ばないけれど、この日は偶然多く作ったそうで、購入できました。

 

初めて食べた一柳堂さんの最中。

ほどよい甘さの粒あんで優しい味でした。

 

「昔は栗饅頭や色んな和菓子も作ってて、ケーキなんかの洋菓子もやってたのよ。

けど豊岡にも洋菓子屋さんがたくさん増えて来たある時、お父さんが  “これからは鹿饅頭一本にする。” って。」

「へぇ、因みにこのお店は何年くらいされているんですか?」

「創業は明治36年で、当時は今のお店からほど近い円山町にお店があったんだけど大正14年の北但大震災で焼けてしまってね。

そこから今の場所に移ったの。

それからは特に注文が無ければ鹿饅頭だけを作ってるの。

今は私がお店に立って、主人と、息子のお嫁さんが菓子作りをしてるのよ。」

昔使っていた菓子入れ瓶は今は金魚鉢になっていた。

 

息子さんのお嫁さんは25年前に嫁いで来て以来ずっと菓子づくりを手伝っていて、

今も85歳のお義父さんと共に菓子を作り、味を引き継いでいる。

 

次の代へ

 

「鹿饅頭の由来って何かあるんですか?豊岡と鹿って…関係ないような。」

「代替わりしてあまり資料が残っていないからはっきりとしたことは分からないんだけど、諸説あってね…」

おばあさんによると、まだ円山町にお店があった頃、近くのお寺に大きな紅葉の木があり、花札の絵柄『鹿に紅葉』に因んで鹿の饅頭を作ったという説があるんだとか。

「へー!なんだかオシャレですね!」

「でも花札ってねぇ?どうかしら(笑)

けど、ずっとこの焼き印の絵柄は変わらないんですよ。ちょっと幼い鹿。バンビちゃん。焼き印は全部手で押してるから時々尻尾が切れてたりしてね。そこはご愛嬌。」

お店を出たあと、

「はて、鹿饅頭のイメージのきっかけになった紅葉って今もあるんだろうか?」

と気になったので円山町のあたりをうろうろしてみた。

近くのお寺の境内にそれらしい紅葉をみつけてご住職に聞くと、

「さぁ〜…うちも代替わりしましたからなぁ。」

そうですか…とりあえず写真に撮っておこう。

 

その土地ごとにある「銘菓」と呼ばれる食べ物がありますが、

美味しいもののルーツを巡って街を散策するのも楽しいかもしれませんよ。

この記事を書いた人

美藤 圭

クリエイター(自営)
高校卒業後、「ものづくりで飯が食いたい」と思い、飛騨高山へ。
設計事務所、家具工房、家具メーカーを経て、2015年地元豊岡にて家具と彫刻の工房「2B works 」を開業。

趣味はボーッとする事と寝ること。

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