まつじゅんの妻ターンジャーニーin豊岡⑥ ~シニア妻ターン夫と、人生解放夫~
どうも!まつじゅんです。
今回は、ふたりの妻ターン夫に会いに行ってきました。
69歳で移住した“シニア妻ターン夫”と、妻の地元に自分が思い描いていた暮らしを見つけた“解放妻ターン夫”。
年齢も、移住のきっかけも、その後の暮らしも全然違うふたりです。
それぞれ、どんな思いで妻の地元を選び、そこでどんな暮らしをつくってきたのか。
今回も、妻ターンのリアルを聞いてきました!
「静かに余生を過ごす」はずが…69歳の妻ターン
自然豊かな豊岡を満喫する片野さん
今回お話を伺ったのは、大阪市出身の片野明さん。
約5年前、妻の地元である豊岡へ妻ターン移住してきました。
片野さんが移住したのは、60代になってから。これまでお話を聞いてきた妻ターン夫の中では、ちょっと珍しい“シニア妻ターン”です。
移住のきっかけの一つになったのは、お互いの両親のことでした。
片野さんのお父さんが亡くなり、お母さんが施設で暮らすようになった一方、豊岡では妻の母も体が弱り、親の生活を支える必要が出てきました。
「妻は僕の父親や母親にすごくよくしてくれたんです。だから今度は、僕が妻の親を支える番かなって」
そんな思いが、豊岡への移住を考えるきっかけになりました。
ただし、「妻の家族のために仕方なく豊岡へ」というわけではありません。
もともと片野さん自身、自然や食が大好き。帰省で豊岡を訪れるたびに「いいところだな」と感じていて、むしろ片野さんの方が移住には前向きだったそうです。
いざ移住の話が具体的になると、妻から「本当に豊岡でいいの?」と心配されたほど。
「どっちかって言ったら、僕の方が移住したかったんです」
家族を支えたいという思いと、自分自身も豊岡で暮らしてみたいという思い。
妻ターンではあるけれど、片野さんは「妻についてきた」のではなく、自分の意思で豊岡を選んでいました。
「同居はしない」
楽園のような但東のチューリップ畑
妻ターンと聞くと、「妻の実家で一緒に暮らすの?」と思う方もいるかもしれません。
片野さんは、そこはかなりハッキリしていました。
「同居はしたくなかったですね(笑)」
妻の実家には同居できるだけの広さもあったそうですが、選んだのは別々に暮らすこと。
何かあればすぐに行ける。でも、普段はそれぞれの暮らしを大切にする。
妻も、「外から見ているくらいの距離の方がお互いにいい」と感じていたそうです。
妻ターンだからといって、義実家との距離は近ければ近いほどいいわけではない。
家族を支えられる距離にいながら、自分たち夫婦の生活も守る。
この距離感も、妻ターンを心地よく続けるための一つの工夫なのかもしれません。
夫にとっては「誰も知らない町」
大好きなラグビーで若者と交流する片野さん
妻ターンのメリットについて片野さんが話してくれたのが、「ミスマッチの少なさ」でした。
妻に土地勘があるので、どんな地域なのか、生活するにはどこが便利なのか、ある程度の情報があります。
実際、住まい探しでもその土地勘が大きな助けになったそうです。
まったく知らない土地へ夫婦二人で飛び込むIターンと比べると、これはかなり大きな安心材料です。
一方で、片野さん自身にとっては、
「親戚以外、本当に誰一人知らない状態」
からのスタートでした。
そこで片野さんは、自分から地域のイベントや交流の場へ足を運びます。
市民活動、豊岡劇場のボランティア、地域の集まり……。
少しずつ知り合いが増え、妻の地元だった豊岡に、片野さん自身の人間関係ができていきました。
妻ターンだからこそ、土地についてはある程度知った状態から暮らしを始められる。
そして、その安心できる土台の上で、今度は自分から人とつながり、自分の居場所をつくっていく。
そうやって、「妻の地元」だった豊岡が、少しずつ「自分のまち」に変わっていったのかもしれません。
気づけば“人生の楽園”に
夫婦で安国寺のドウダンツツジを見に
そんなふうに地域へ出て、人とつながる暮らしを続けているうちに、片野さんの生活は、移住前に思い描いていたものとはずいぶん違うものになっていました。
「静かに余生を過ごそう」
そう思って豊岡へ来たはずが、気がつけば想像以上ににぎやかな毎日です(笑)。
「大阪や京都では、自分一人が動いたところで地域が変わるなんて感覚はなかった。でも豊岡では、仲間を集めて何かやれば、ちょっと町が変わるかもしれないと思えるんです」
都会では、欲しいものはだいたい揃っている。
でも豊岡では、「ないなら自分たちで作ればいい」。
その感覚が、片野さんには面白かったそうです。
豊岡での人生を一言で表すなら?
そう聞くと返ってきたのは、
「人生の楽園」
という言葉でした。
ただ与えられた楽園ではなく、自分で楽しくしていける楽園。
妻の地元への移住は、片野さんにとって「妻についてきただけ」の移住ではありませんでした。
自分で選んだ土地で、人とつながり、自分の居場所をつくっていく。
そんな新しい人生の始まりだったようです。
思い描いていた田舎暮らしがあった
山本勧さん
続いてお話を伺ったのは、大阪府枚方市出身の山本勧さんです。
2018年、妻の地元である豊岡市但東町へ妻ターン移住してきました。
山本さんは、大阪や京都、滋賀などで働いていた頃のことを、
「すごい色々と余裕がなかった」
と振り返ります。
満員電車、人の多さ、どこかギスギスした感じ。
そんな毎日の中で、畑をしたり、もっとのんびりと過ごしたりする田舎での暮らしに、少しずつ憧れを持つようになっていったそうです。
そんな中で訪れたのが、妻の地元である但東町でした。
山や田畑に囲まれた風景を見て、「いいところやな」と感じた山本さん。
そこには、ずっと思い描いていた田舎暮らしの風景がありました。
自分が求めていた暮らしを実現できそうな場所が、妻の地元・但東だったのです。
移住に対する不安
猫ちゃんものびのび
もちろん、移住に不安がなかったわけではありません。
山本さんが気になっていたのは、自分が地域に受け入れてもらえるのかということでした。
妻にとっては地元でも、山本さんにとっては知らない土地です。
ただ、そこには妻ターンならではの安心感もありました。
地域のことを知っている妻がいて、近くには親戚もいる。
どんな地域なのか。誰に聞けばいいのか。困った時に頼れる人がいるのか。
まったく知らない土地へ夫婦二人で飛び込むのとは違い、最初からある程度の情報やつながりがあります。
山本さんは、そこを妻ターンの大きな強みだと感じていました。
地域に入ったからこそ自由になれた
山本さんが管理する「サダトウモロコシ」のもぎ取り園
とはいえ、憧れていた田舎暮らしが、そのまま待っていたわけではありません。
田舎暮らしというと、自然の中でのんびり、自分の好きなように暮らすイメージがあると思います。
でも、実際に暮らし始めてみると地域にはさまざまな「役」があったそうです。
水路の管理、農業、防災、獣害対策。
地域で暮らしていくためには、誰かが担わなければならない仕事がたくさんあります。
都会で暮らしていた頃には、ほとんど意識することのなかった世界です。
山本さんも最初は、その役割の多さや、周囲からいろいろと意見をもらうことを負担に感じる場面があったそうです。
せっかく自由な田舎暮らしを求めて来たのに、今度は地域の付き合いや役割に縛られる。
そんなふうにも見えます。
でも、山本さんの話を聞いていると、どうやら逆でした。
地域の中に入っていくことで、誰がどんな思いで地域を支えているのかが見えてくる。人との関係ができ、自分自身も少しずつ「この土地で暮らす一人」になっていく。
気がつけば山本さんは、副区長や会計を務め、その後は区長まで任されるようになっていました。
地域の役は、ただ自分の時間を奪うものではなかったのです。
関わったからこそ地域のことが分かり、人とのつながりができ、その上で自分のやりたいことにも動きやすくなっていった。
田舎で自由に暮らすというのは、地域と距離を置いて好きなことだけをすることではなく、地域との関係をつくった上で、自分らしい暮らしを選べるようになること。
山本さんは、地域に入っていったからこそ、自分が思い描いていた自由な田舎暮らしに近づいていったのかもしれません。
但東で人生が「解放」された
実写版サンディー
そんな山本さんに、
「豊岡に来てからの人生を一言で表すなら?」
と聞いてみました。
返ってきた言葉は、
「解放」
でした。
都会で働いていた頃とは、時間の流れも日々の過ごし方も大きく変わりました。
但東では、昼間にちょっと昼寝をする人も珍しくないそうで、最初は戸惑っていた山本さん自身もいつの間にかしっかり昼寝をするようになったそうです(笑)。
今では「サダトウモロコシ」のもぎ取り園を運営するなど、自分なりの田舎暮らしを楽しんでいます。
しかも、トウモロコシのマスコットキャラクター「サンディー」の着ぐるみまで自ら着るという振り切れっぷり!
地域の役も担いながら、自分のやりたいことにも挑戦する。
山本さんの言う「解放」は、何もしなくていい自由ではなく、自分で暮らし方を選べるようになったということなのかもしれません。
そして、その暮らしを始めるきっかけになったのが、妻の地元・但東でした。
地域のことを知っている妻がいて、親戚がいる。
まったく知らない土地に飛び込むよりも、最初の一歩は少し踏み出しやすかったはずです。
そこから地域に入り、人とつながり、自分なりの暮らしをつくっていった山本さん。
妻ターンは、山本さんにとって「解放」へ向かう入り口だったのかもしれません。
まとめ
移住したタイミングも、豊岡に来た背景も、それぞれ違う片野さんと山本さん。
でも、お二人の話を聞いていて共通しているなと感じたことがありました。
それは、妻の地元に移住して終わりではなく、そこから自分自身で地域に入っていき、人とつながり、自分の居場所をつくっていったことです。
もちろん、まったく知らない土地に一から飛び込むのとは違って、地域のことを知っている妻がいて、親戚や土地とのつながりがある。
そんな「妻の地元」という土台があったからこそ、最初の一歩も少し踏み出しやすかったのかもしれません。
そして、その土台を活かしながら、その先の暮らしをつくっていったのは、お二人自身でした。
今回は、妻の地元という妻ターンのメリットを最大限に活かしながら、それぞれの場所で自分らしい“第二の人生”を満喫している、二人の妻ターン夫をご紹介しました。
妻ターンって、やっぱり「妻についていく」だけじゃないんですね。
その土地を、自分の居場所にしていく。
そんな妻ターンの可能性を今回のお二人から教えてもらいました。




