大阪から神鍋高原へ──「楽しみ」を原動力にペンションを営んで37年 ペンション「てるてるぼーず」野村さんの神鍋暮らし
豊岡市・神鍋高原。
スキーやキャンプ、四季折々の自然に恵まれたこの地に、30年以上前から暮らし、ペンションを営んでいる方がいます。
ペンション「てるてるぼーず」のオーナー、野村 征伸(のむら まさのぶ)さん。
いまでは地域でもすっかりおなじみの存在ですが、もともとは大阪育ち。実家の家具屋を手伝っていた彼が、なぜ雪深い神鍋に移住し、宿をはじめたのか。
個人的にも長年お世話になっている野村さんに、あらためてじっくりお話をうかがってきました。
神鍋への移住のきっかけ、宿を続けてきた想い、地域で生きるということ、そしてこれから移住を考えている人へのヒントまで。
ざっくばらんで、笑いながら、でもどこか背中を押してくれるような、そんな時間になりました。
「気がついたら、毎週通ってたんよ」

▲木々の中に佇むペンション「てるてるぼーず」
大阪・日本橋。ネオンきらめく繁華街のど真ん中で生まれ育った野村さん。
「今ではオタクの街とか言われてるけど、昔はもう、ギラギラした街やったな」と笑って話してくれました。
若い頃は実家の家具屋で、家具の製造に携わっていたそうです。
そんな彼が神鍋と出会ったのは、なんと飲み屋がきっかけ。
「兄貴がミナミで商売しててな。そこの飲み屋で、神鍋でペンションやってる人と知り合って。『スキーできるええとこやで』って誘われてな。最初はお客さんとして遊びに行ったんよ」
それが神鍋に通い始めるきっかけとなり、知り合いも増え、神鍋で別のペンションを営んでいた人と知り合います。
「その人のペンションで、居候みたいな感じで泊めてもらいながら手伝うようになって。気がついたら毎週通ってたわ。ほんま、遊びながら働いてた(笑)」
家具屋の仕事を手伝いながら、土曜の夜には神鍋へ。
日曜は雪の上で過ごし、ペンションの仕事も手伝って、夜に大阪へ帰る。
そんな生活が、5年ほど続いたそうです。
「リゾートバイトみたいなかっこいいもんじゃない。ただの居候や(笑)。自由にしとったけど」
ペンション「てるてるぼーず」のはじまり

▲見た目がてるてるぼーずと言われる野村さん
そんな生活を続けるうちに、ある時ふと「こっちで暮らしたいな」という思いが芽生え始めます。
「リゾバみたいに遊びに来てるうちに、やっぱ自然の中にいると落ち着くんよな。こっちは四季もはっきりしてるし、空気もええし」
さらに大きかったのは、神鍋でペンションを営んでいた人たちの姿だったといいます。
「一緒に働いてた人らがな、ほんま楽しそうやったんよ。忙しいときはしっかり働いて、休みのときは自然の中で遊んで。畑やったり山登ったり。大阪で暮らしてたときは生馬の目を抜くような日々だったし。それに比べて、神鍋の人はなんか、“人生を謳歌してる”って感じやってん」
そういう人たちの姿を間近で見て、「ここで暮らしたい」という気持ちが、より確かなものになっていきました。
30代目前、ちょうど大阪の家具仕事も区切りがついた頃、神鍋でペンションを始めるという選択をします。
「『住みたい』だけやったら、土地を買うだけやと限界があるけど、ペンションやるって言ったら土地を分けてもらえるって話があってな。ほなもう、やるかって」
そうして誕生したのが、今も多くのリピーターに愛される「てるてるぼーず」。
名前の由来は聞けばすぐに納得です。
「俺の見た目よ。表向きには『お客さんが来る時に晴れてたらいいよね』ってことも言ってる。一回聞いたら忘れへんやろ?大阪の洒落やな(笑)」
その時期には結婚もし、暮らしと仕事がいっぺんにスタートしました。
名物「塩鍋」と、“自分が楽しい”の大切さ

▲自然の中で映える、シックで落ち着いた外観
「てるてるぼーず」の名物といえば、「塩鍋」。
あっさりしているのに深い味わいで、自家製ラー油がアクセントになっています。
「夏でも鍋食べたいと思って、自分が鍋好きやから作ってん。塩鍋ならさっぱりしてて夏もいけるやろって。最初は塩の種類や分量でめっちゃ悩んだで。苦労した(笑)」
神鍋で料理をすることも楽しかったそう。
「料理はな、神鍋の水のおかげもあると思う。神鍋の水はほんまうまいんよ。出汁ひいても、米炊いても、全然ちがう。水がいいって、料理が楽しいんよな」
水が美味い。空気が澄んでる。
そんな環境にいるからこそ「やりたいこと」がちゃんと形になる。野村さんの言葉から、それがよく伝わってきます。
地域に“入っていく”ということ

▲フロントのてるてるぼーずたち
とはいえ、最初からスムーズに地域に溶け込めたわけではありません。
「大阪育ちやから、町内会って言っても回覧板回すくらいの感覚やった。けど、こっちは“村の付き合い”っていうのがちゃんとあるんよな」
神鍋に来てすぐ、地域の役も回ってきました。肝煎*、総代、会計、理事…聞き慣れない肩書きやしたことない役割が次々と。
「来たばっかりのときに“肝煎やってくれる?”って言われて、『え、なんのこっちゃ?』って思ったよな(笑)」
それでも野村さんは、そうした地域の役もひとつずつ受けてきました。
「よう考えたら、自分はここに親戚もおらんし、昔からのしがらみもないやん。せやから逆に動きやすかったんかもな。変に気ぃ遣わんでよかったし」
そんな中で、地域と付き合っていくうえで特に大事にしてきたことがあります。
「人の噂は、鵜呑みにせんことやな。『あの人はこうや』とかよう言われるけど、結局、自分で会って話してみなわからへん。それをちゃんと自分で確かめるようにしてきた」
この考え方は、移住してすぐの頃に出会った先輩移住者から教えてもらったそうです。
「その人に言われたんよ。『噂は話半分でええ。気になる人おったら、自分で話しかけてみ』って。最初は半信半疑やったけど、ほんまその通りやったわ」
義務をきっちり果たし、人の話には振り回されず、自分の目と耳で地域と関わっていく。
そんな姿勢が、いつのまにか周囲の信頼につながっていきました。
「ちゃんとやってたら、自然と『あの人はちゃんとやる人や』って思ってもらえて、自分の話も聞いてくれるようになる」
肝煎(きもいり)* ・・ 諸事の世話をする人。野村さんの場合は主に村の連絡役など。
「自分が楽しんでへんかったら、あかんやろ」

▲宿のロビーにはこんな看板が
ペンションを37年続けるなかで、野村さんが大切にしてきたのは、「まず自分が楽しくいること」。
「自分が楽しんでると、お客さんも楽しんでくれる」
「うちに来てくれるお客さんは、家族連れや、年配のご夫婦が多いな。昔からの知り合いもよう来てくれるし、ほんま、ありがたいと思うわ」
長く付き合いのあるお客さんも多く、「ここが落ち着くんよ」と声をかけてくれるのが何よりの励みだと言います。
「距離感って、大事やで。話したい人もおれば、静かに過ごしたい人もおる。そこはよう見て、こっちから出すぎへんようにしてる。しゃべらんと決めて来てる人もおるからな」
無理なく、自然体で、自分たちのスタイルを続ける。
それが、「てるてるぼーず」の空気感をつくっているのだと感じました。
神鍋で何か始めてみたい人へ

▲宿のロビーにて
「もし、これから神鍋で宿や店やりたいって人がいたらな。まず、1年、季節を通して神鍋に遊びに来てみて。それが一番やと思う」
「自然がきれいやとか、水がうまいとか、そんなんは住んでみて初めてわかるもんや。うちなんか、夜空見上げたら星でいっぱいやもんな。最初はびっくりしたで、月明かりのない日はこんな暗いんかって(笑)」
野村さんは、神鍋での暮らしを通じて、自然に対する感覚が大きく変わったといいます。
「ここに暮らしてると、自然の変化がよくわかるようになる。風の匂いとか、山の色とか、空の感じとか。“あ、季節が変わってきたな”って肌で感じるようになったわ」
「自然ってな、全然飽きひんのよ。毎日同じようで、毎日ちがう。そこの変化を楽しめるようになったのは、ここで暮らしたからやな」
そして、もうひとつ。
「誰かとつながっといた方がええ。俺もそうやった。ちょっと先に来てる人と話してみたら、ぐっと世界広がるで」
また、「発信すること」も大切だと語ってくれました。
「自分が楽しいと思ってることを、そのまま出していけばええんよ。花が好きやったら花のこと、写真が好きやったら写真のこと、自転車が好きやったらそれをSNSで出せば、似たような人が来てくれる。それが一番ええんちゃう?」
そして、これからのこと

▲吹き抜けからみる憩いのロビー
現在68歳の野村さん。
今後については、少しずつ事業の“継承”も考えているといいます。
「自分たちが元気なうちに、この宿を引き継いでくれる人がいたらええなと思っててな。継業バンクに登録する準備もしてるし、興味ある人には話せることは全部話すつもりや」
「今から移住して、宿やってみたいなって人に、ちょうどいいタイミングかもしれん。宿をリタイアする人の継承のモデルができればと考えている。」
おわりに

▲神鍋に移住するきっかけを与えてくれた人にもらったてるてるぼーず
野村さんと話していると、「暮らし」と「仕事」がごく自然に混ざり合っているのがよくわかります。
家具職人として手を動かしていた青年が、30代で神鍋に移住し、夫婦でペンションを営みながら、地域の人たちと信頼を築いてきた。
それは、決して特別な人生ではないかもしれないけれど、「自分で選んだ生き方」を続けてきた確かな時間でした。
「楽しいと思えることを、楽しいと思える場所で」
そんな生き方がここにはあります。
次にこの地を訪れるのは、この記事を読んだあなたかもしれません。
【ペンション てるてるぼーず】
■客室
洋室:6室 和洋室:2室
■収容人数
28人
■所在地
兵庫県豊岡市日高町太田157-14
■お問い合わせ
0796-45-1052