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コウノトリ但馬空港~小さな空港の、大きな存在価値~

こんにちは。市民ライターの田上敦士です。

みなさんは但馬に来るとき、どんな交通機関を使いますか?まずは自家用車という方、多いですよね。そして鉄道、さらに高速バス。いろんな交通機関がありますが、もう一つ「飛行機」という選択肢があるのをご存じでしょうか。

1994年5月に開港したコウノトリ但馬空港。開港当初は「但馬空港」という名前で、伊丹空港(大阪国際空港)との間を毎日朝1往復するだけでしたが、翌年秋からは朝夕の2往復体制となり、但馬~伊丹間の日帰りが可能になりました。2002年からは「コウノトリ但馬空港」と改称し、これまでに累積で70万人以上の乗客を運んでいます。今回、久々に利用する機会がありましたので、その様子をリポートします。

コウノトリ但馬空港は、豊岡市中心部の南のはずれにあります。現在はすぐ近くに北近畿豊岡自動車道の終点「但馬空港IC」があるので、日高・八鹿方面からのアクセスも便利になっています。また、飛行機の時間に合わせて城崎温泉駅・豊岡駅から連絡バスが運行されています。

ターミナルビルの横には、国産初の量産型旅客機「YS11」と小型飛行機「エアロコマンダー680FL」が展示されています。

私の世代には懐かしいYS11ですが、2006年に国内の路線から引退しているので「乗ったことがない」という方のほうが多いかもしれません。実はこの展示されているYS11の機内で、NHKの朝の連続テレビ小説「舞いあがれ!」のロケが行われたんです。初回放送の冒頭シーンなので、覚えていらっしゃる方も多いんじゃないでしょうか。主人公の夢の中で、一家が飛行機に乗って旅をしているシーンです。

ターミナルビルに入ると、お土産物の売店や喫茶コーナーもあります。

また、屋上の送迎デッキからは発着する飛行機の姿を見ることができます。

現在運航している飛行機はATR42-600型。開港以来飛んでいたサーブ340B型に代わって2018年5月に就航した、48人乗りの最新鋭プロペラ機です。

ターミナルビルからは歩いて飛行機に向かい、取り付けられたスロープを登って機内に入ります。乗客の搭乗口が機体の後部にあるのは、ちょっと珍しいですね。

機内は48人乗りですから、JRの特急列車1両分よりやや少なく、大型の観光バスよりはやや多いくらいです。窓の形を除いては、飛行機に乗っているという実感はあまりありません。

そして、いよいよ離陸。豊岡市の市街地を眼下に眺めながら、ぐんぐん上昇していきます。水平飛行に入ってベルト着用サインが消えたと思ったら、5分経ったかどうかといったところですぐに「当機はこれより着陸態勢に入ります」とアナウンス。時刻表上の飛行時間はわずか35分と、空を飛ぶと豊岡から大阪はあっという間です。

伊丹空港に着陸すると、バスに乗ってターミナルビルへ。思ったより遠いです…

と、あっという間の空の旅をご案内してきましたが、実際のところそれぞれの空港へのアクセス時間や手荷物検査の手間などを考えると「大阪に行くんだったらJRの方が早い」「クルマの方が便利」という声もあります。こういった批判的な意見は開港当時から出ていますし、部分的にはその通りでもあります。

しかし、私は声を大にして言いたいのです。「コウノトリ但馬空港は、但馬にとって絶対に必要である」と。それは、自分自身の経験に基づいた確信です。

コウノトリ但馬空港の価値①「大阪から、その先へ」

40年近く前、私は東京の大学に通う学生でした。周りには北海道から九州まで全国各地から来ている友人たちがいました。夏休みや正月など、みんなそれぞれに帰省するのですが、私のように「帰省の移動時間が7時間かかる」友人は誰もいませんでした。北海道でも九州でも、飛行機と鉄道やバスを乗り継いで4~5時間もあれば実家にたどり着くのです。ところが私は、東京の家から1時間近くかけて東京駅に出て、東京駅から京都駅まで「ひかり」で約3時間(当時まだ「のぞみ」はありませんでした)、そこから特急で城崎までこれまた3時間近くかかっていたのです。

羽田~伊丹線の機体は、当然ながら大きい…

今回私は、伊丹から羽田行に乗り継いで東京に行きました。豊岡の家を朝9時ごろに出たら、ランチが食べられる時間に東京に着きました。飛行機がなかったら到底そんなことはできません。東京に限らず、伊丹から北海道や東北、九州に向かうことで、但馬からの旅行や出張の行動範囲は大きく広がっています。また、逆に京阪神以外の人々に但馬に観光に来てもらう上でも、但馬空港の存在には大きな意味があるのです。

コウノトリ但馬空港の価値②「いざという時の拠点」

そしてもう一つのコウノトリ但馬空港の意味、それは「防災拠点」です。これも私は身を持って体験しました。1995年の阪神・淡路大震災の時、私は報道記者でしたがたまたま休みで城崎の実家に帰っていました。「すぐに大阪に戻れ」という指示を受けても、道路も鉄道も当然機能していません。大阪に向かう唯一の手段が、飛行機でした。

都市間を線で結ぶ道路や鉄道はその間のどこかが被害を受けたら機能を停止しますが、空港の場合は出発地と到着地の空港さえ機能していれば人や物を運ぶことができます。将来、但馬地方で地震や水害などの大きな災害が発生した際に、広域防災拠点となっているコウノトリ但馬空港の果たす役割は極めて重要です。

帰路、伊丹での出発表示板に「雪マーク」が…

コウノトリ但馬空港には、他の空港にはない「空港オートキャンプ場」や「空港スカイダイビング」といったエンタテイメント性もあります。コロナ禍の出口がようやく見えてきて、全国から人が集まる「豊岡演劇祭」も定着しつつある今、この小さな空港が持っている意味は、実はものすごく大きいのです。

なお、コウノトリ但馬空港~伊丹空港便を利用される方には、豊岡市などから運賃が助成される場合があります。詳しくはこちらから。

この記事を書いた人

田上 敦士

城崎生まれ。大学進学で上京し、大阪のテレビ局に就職して30年余り。早期退職して2020年に但馬に帰ってきました。
合同会社TAGネット 代表(といっても、社員は私だけです)

http://www.tag-net.work

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