移住者に聞く・youはどうして豊岡に?③「しゃんらん」西田さん夫妻《後編》
こんにちは。市民ライターの田上敦士です。
移住者の方にお話を聞くシリーズ企画「移住者に聞く・youはどうして豊岡に?」の第3回、豊岡市出石町で中華料理店を営む西田幸弘さん(53)・紫乃さん(50)ご夫妻が、子育てに最適な環境を求めて大阪から豊岡に移住を果たすまでを前編でご紹介しました。
後編では、西田さん一家が実際に4年間住んで感じた豊岡の魅力や戸惑ったこと、さらに次男いっくんの成長についてお話を伺います。
ついに移住、そして店も移転オープン!
2018年春、西田さん一家は豊岡市に移住、そして営むお店「しゃんらん」も大阪から豊岡に移転し、新たなスタートを切りました。
幸弘さん(以下「幸」)「お店はおかげさまで、順調にやっています。大阪から3時間の距離だと、元の店の常連さんも時々観光がてら来てくれます。温泉とかいろいろありますからね。常連さんたちがバスをチャーターして大挙来店してくれたこともありました。みんな『ええとこやなあ』と言って帰っていきますよ。うちをきっかけに、豊岡の良さを知ってもらえたら嬉しいです。」
地元のお客さんも次第に増えてきた「しゃんらん」ですが、この地でお店を営業するのには思わぬ苦労があったといいます。
幸「仕入れが大変なんですよ。大阪だったら、食材の仕入れは1か所で済むんですね。ところが、こちらではいい食材は多いんだけど、それを手に入れようと思うと『これは豊岡で』『これは八鹿で』となってすごく時間がかかるんです。配達もしてもらえないし…今はだいぶん土地勘が付いてきたので効率のいい回り方は分かってきましたが、それでもかなり時間をとられていますね。」
お客さまへの【お願い】
「しゃんらん」のテーブルには、メニューと並んでこんな「お願い」が置いてあります。
当店は自宅兼店舗となっていて、特別養護学校に通う男の子がいます。名前はいっくんです。
いっくんは言葉を話すことが出来ません。
なので自分の感情を表現することが苦手で、
嬉しくても悲しくても【叫び声】になってしまいます。
お母さんが仕事をするのが寂しくて客席で泣いたりもします。
たまに手伝いをしたいのですが、
汚れた手で、お水やおしぼりを出すことがあります。
【きちんとする】ことが苦手ないっくんなので、彼がもし指が浸かったままでお水を出しても、
いちど「ありがとう」と受け取ってほしいのです。
あとからすぐに交換いたします。
おしぼりもお手元まで置くことが出来ず投げてしまうことがあります。
それでも「ありがとう」と受け取ってほしいのです。
きちんとできないいっくんですが、すこしずつ「できる」を積み重ねたいと思います。
そのためにはお客様のご協力が必要となります。
どうぞ暖かい目でご協力をお願いいたします。
(原文のまま・一部抜粋)
紫乃さん(以下「紫」)「この子を育てていると、やはり悩むことは多かったです。子どものすることに『バツをつける』ことをせずに育てていきたいという思いからここに移ってきて、確かに環境としては理想に近いんですけど、移住してもいっくんはいっくんなので、向き合っているとなかなか難しいことも多くて…そんな悩みをSNSに書き込んだ時、いろんな人から支えになる言葉をかけていただきました。その時『ああ、自分一人で抱え込まなくていいんだ。周りの人の肩を借り、胸を借りながら弱い自分のまま少しずつ進んでいけばいいんだ』と思えるようになったんです。
この『お願い』も、SNSでみんなに意見を聞きながら作った文章に、友だちがイラストを描いてくれてできあがりました。お客さまにも快くご協力いただいています。」
紫「ある時、この『お願い』を読んで泣いていたお客さまがいらっしゃいました。お話を伺うと、その方にも障がいを持つご家族がいらっしゃるんだそうです。
『ぼくにはこの勇気はなかった。障害を持つ家族を隠すように生きてきた。』
そうおっしゃっていました。」
「お願い」は、こんな言葉で締めくくられています。
「色んな垣根を飛び越えて、みんなが楽しめる場所が増えるといいなぁ」
その願いは店を訪れた人に確実に伝わって、広がっています。
いっくんの成長
そして、そんな日々を通じていっくんにも変化があったそうです。
紫「ここでお店をするようになって4年経ち、いっくんが実はお店にあまり来なくなったんです。今はよく知っているお客さんが来た時だけしかお店には顔を出しません。本人なりに、やっていいこととそうでないことを学んだんだと思います。『しちゃダメ』と𠮟るのではなく、自分自身でそれを分かってくれたのはすごい成長だと思いますし、これまでそれを許して下さったお客さまには本当に感謝しています。
彼もこちらでの生活を楽しんでいるように思います。特別支援学校では手厚い支援をしていただいていますし、放課後デイサービスも楽しそうです。なによりも、ここでは家の庭先で心置きなく遊べるのがいいですね。大阪だと公園に行ってもいろいろと気を遣っていたので。」
そしてお兄ちゃんも…
いっくんには6つ上のお兄さんがいます。「いっくんを育てるのに最適な環境」を求めて一家で豊岡に移住してきたわけですが、お兄さんはどんな反応だったんでしょうか?
紫「引っ越しのタイミングは、お兄ちゃんが小学校を卒業するタイミングを待ちました。お兄ちゃんにも都会で育って都会で就職するという以外の世界を見てほしいという思いもありました。実際に移ってみると、想像以上に豊岡になじむのが早かったですね(笑)。どちらかというとおっとりしたタイプなので、たぶん田舎暮らしの方が向いているんだと思います。大阪時代は家からすぐのところに小学校があったので、中学に入っていきなり6キロの自転車通学になったのは大変そうでしたが、それも含めてすぐになじんでました。」
4年経って、豊岡での暮らしは?
引っ越して4年。但馬の暮らしや気候に、戸惑いはありませんでしたか?
幸「最初戸惑ったのは『日役』(ひやく=地域での共同作業)ですね。一応地区の農会に入っているので、春夏には草刈りに参加しないといけないんです。でもみなさんいい方で、ウェルカムな感じで迎え入れていただいているので、特に問題はないです。
暑さ寒さも、それほど苦になるほどではないですね。今年は雪が多かったですけど、雪かきも運動不足解消のトレーニングと思って、楽しんでいます。」
紫「いや、寒いよ(笑)。冬場は洗濯物も乾かないし。引っ越してから3年はあまり雪が降らなかったので『ビギナーズラックや』なんて言われてましたけど、今年の雪はやっと但馬の洗礼を受けた感覚ですね。出勤前にまず雪かき、というのがどれだけ大変なのか実感しました。定刻通りに迎えに来てくれるスクールバスやその前に除雪作業をしてくださっている方には、本当に感謝しています。」
そしてお二人も、但馬暮らしの楽しみを見つけていらっしゃいます。
幸「レジャーにはしょっちゅう出かけてますね。冬はスキー、春は花見、夏は海水浴や花火…特に海にはよく行きます。うちからだと京丹後市の小天橋が近く、広くて遠浅なので一番よく行きます。大阪だとどこに行っても人は多いしお金もかかるし、そういう意味ではストレスなくお出かけできるのがいいです。
個人的には、狩猟の免許を取ったんですよ。この家の工事をしてくれた工務店の方が猟をする人で、誘っていただいて。あと、原木をチェーンソーで切って薪割りをしたりもしています。やることがいろいろあって、日々楽しいです。」
紫「このお店が、障がいを持つ人やその家族が出会える場所になればという思いを持っていたんですが、それをさらに進めて、但馬に『ユニバーサルツーリズム』の考え方を広げていくという活動に取り組んでいます。ユニバーサルツーリズムというのは、高齢者の方や障がいのある方でも気兼ねなく旅を楽しんでもらおうということです。第一歩として『ヒッポキャンプ』という水陸両用の車いすを購入しました。これを使えば、車いすに乗ったままでも海水浴を楽しめるんですよ。いっくんにとっては、海であったり、高原であったり、この但馬の地そのものが大切なフィールドなんですが、他の人たちにもそういう場所になったらいいなという思いを持って活動しています。楽しみながら、地元のNPOなどの力を借りながら少しずつ進めています。こんな活動をするというのは、大阪にいたころには全く思ってもいませんでした。」
コロナ禍で社会の価値観が変わりつつある今だからこそ、その活動の意味は大きいと紫乃さんは考えています。
紫「いまの時代、都会の閉塞感から逃れたいと感じている人は多いと思うんですね。そんな人たちが但馬にやってくるきっかけとなる場所を作れたらと思います。
あらためて、もし引っ越さずに大阪にいたままでこのコロナ禍の時代を迎えていたらと思うと、お出かけできない、公園にも行けない、いっくんも私もストレスで生きていけなかったと思います。そういう意味でも、あの時期に移住を決断して本当によかったと思います。」
大阪で繁盛していたお店をリセットするという、大きなリスクを背負って豊岡への移住を決めた西田さん一家。もともとは「いっくんの子育てのために」というのが移住のきっかけでしたが、4年経った今、いっくんだけではなく、幸弘さんも、紫乃さんも、お兄ちゃんも、それぞれにこの地で自分の生きがいを見つけて前向きに歩み始めています。
「ここにきて、本当によかった」
そう話す西田さん夫妻の、全く迷いのない表情が印象的でした。