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移住者に聞く・youはどうして豊岡に?③「しゃんらん」西田さん夫妻《前篇》

こんにちは。市民ライターの田上敦士です。

移住者の方にお話を聞くシリーズ企画「移住者に聞く・youはどうして豊岡に?」、第3回は豊岡市出石町で中華料理店を営む西田幸弘さん(53)・紫乃さん(50)ご夫妻です。

大人気の中華料理店「しゃんらん」

出石町から但東町に向かう国道426号。旧町境のあたり、車窓には山と田畑が広がっています。

そこにひょっこりと現れる「四川麻婆豆腐」と書かれたのぼり。

その奥にある古民家を改装したお店が、西田さん夫妻が営むお店「しゃんらん」です。

看板メニューは、四川風の麻婆豆腐です。

四川風だけあって、辛さに弱い人なら汗が噴き出すような辛さですが、その辛味に負けない肉のうまみが感じられる絶品の麻婆豆腐にはファンが多く、遠く大阪から定期的にやってくる常連さんもいるのだとか。

実は「しゃんらん」、大阪市の玉造で今から20年前に開業したお店でした。

大阪・玉造にあった「しゃんらん」

幸弘さん(以下「幸」)「もともと親が町中華のお店をやっていて、学校卒業後は親の店を手伝っていたんですが、33歳の時に独立して自分の店を持ちました」

ちょうどその頃、当時デパート勤務だった紫乃さんと出会ったそうです。

紫乃さん(以下「紫」)「同じバーによく行ってたんですね。で、お店のプレオープンに常連のみんなで行こうってなって、行ってみたらすごくおいしかったんですよ(笑)」

「おいしい料理が人と人を繋ぐ」というフレーズを地で行く出会いで、それから1年ほどして結婚。二人のお子さんに恵まれました。お店は次第に評判を呼び、多くの常連客を集める人気店に。

 

しかし4年前、「しゃんらん」は大阪から遠く離れた豊岡に移転しました。いったいなぜ?

大阪から豊岡へ…理由は「子育て」

紫「いま小学4年生の次男が、1歳半の時に自閉症スペクトラムと診断されました。具体的には多動や発語障害といった症状があって、今でも言葉がしゃべれないんです。この子を育てていく環境を考えると大阪では難しいんじゃないか、と思いました。もちろん、療育施設や放課後デイサービスなどは都会の方が充実しているという側面もありますが、この子の個性や特性を考えたときに、感情のままに泣いたり叫んだりすることに対して『我慢しなさい』『静かにしなさい』と言って抑えつけるようなことをせずに育てたいと考えたんです。そのためには、大阪のような都会はちょっとしんどいなと感じたんですね。」

次男の「いっくん」を、違う環境の中で育てたい。そんな紫乃さんの決心に、幸弘さんは戸惑いました。

幸「そりゃこっちはお客さんがいないことには仕事できんからね。せっかく常連さんもついてきたところだったし…当然最初は抵抗しました。ただ、あらためて調べてみたら、今の時代、山のてっぺんにポツンとあるような飲食店が流行ったりしてるんですね。昔とは『立地』の概念が変わってきているんです。昔だったら、商売をするなら駅前などの便利のいいところに店を開くのが鉄則でしたが、今はみんながスマホで情報をとって、むしろ『ふだん行かないところ』『ほかの人が行かないところ』に行こうとしますよね。そう考えると、田舎で店をやっていくことにも可能性があるんじゃないかと思うようになりました。」

「子育て」と「店の経営」の両立…選んだ地は

夫婦で話し合った結果、移住先のターゲットを「大阪からクルマで3時間」と決めました。それが「今の常連さんがたまに来てくれる、ギリギリの距離」だと考えたのです。南は和歌山、東は奈良や滋賀…近畿各地の物件を徹底的に調べて見つけたのが、現在の店舗兼住宅となっている豊岡市出石町の古民家でした。

紫「ここは自然豊かですし、子どもが遊べる広々とした庭もあります。何より、家が隣接していないので家や庭で子どもが大声を出しても誰にも迷惑がかからないので、ここなら私が思うような子育てができると思いました。」

この家の立地に魅力を感じた西田さん夫妻。周辺の環境を調べていくうち、さらに心惹かれる出来事がありました。

紫「物件探しをしているときにはいろんな自治体に電話をかけ、住宅や移住支援制度に加え、特別支援学校は近くにあるかとか、発達障害に対応してくれる医療施設はあるかとか、放課後デイサービスは充実しているのかとか、事細かに電話で聞いてみました。すると『うちは子育て支援の窓口なので、療育や医療のことはそっちの担当に聞いて下さい』といった対応をされる自治体が多かったんですね。そんな中で豊岡市は、最初に担当した方がこちらの質問項目を全て調べて、ワンストップで対応してくれました。その時『これはこの人個人の資質というより、この土地の人の気質なのではないか』と感じたんです」

そして西田さん一家は、実際に豊岡を何度か訪れました。

紫「キャンプ場に泊まったり、神鍋高原や城崎温泉に泊まったりしました。来るたびに、豊岡の人の良さを感じました。やはり最初の直感は間違っていなかったです。」

幸「それと同時に感じたのが、食材の美味しさです。米も旨いし、野菜も、肉も、海産物も。これなら、ここでやっていけるなと思いましたね。」

移住先決定!しかし思わぬ壁が…

ついに豊岡市への移住を決めた西田さん一家。ところが、いよいよ物件取得!という段階で、思わぬ障壁にぶち当たりました。

幸「この家は、家に加えて裏山や田畑もセットで売りたいというのが売主さんの意向で、私たちもそれは了承していました。ところが、農地法という法律があって、農業を営んでいない一般人は農地を購入することができないことが分かったんです。農地を買うためには私たちが新規就農者として認められないといけなくて、そのためには当時の規定では4反(4000㎡)の農地を購入する必要がありました。(※)」

「4反」と言われてもピンと来ませんが、坪でいうと1200坪。テニスコート約20面分というとてつもない広さです。もちろん、家とセットになっている田畑はそんなに広くありません。

※2019年から市の要項が改正され、空き家と農地をセットで取得する場合の下限面積が4000㎡から1㎡に緩和されています

家の裏手にある、かつて田んぼだった土地

紫「この条件をクリアするのはなかなか大変で…不動産屋さんには、近隣で購入できる農地を探してもらったり、ものすごい量の登記手続きをしてもらったり、新規就農の申請手続きまで手伝ってもらって本当にお世話になりました。また、売主さんも事情を酌んでくださって、気長に待っていただきました。
それに加えて、この家は古すぎて住宅ローンが組めないこととか、当時の移住支援制度ではこのエリアは対象にならないこととか、いろいろと移住までのハードルは高かったですね。それでもここは、そんな壁を乗り越えてでも手に入れたい場所だったんです。私たちにとって最優先だったのは子育ての環境で、その点ではここが理想の場所だったので、どんな困難があってもここに住もうと決めていました。」

そして2018年4月、長男が中学校、次男のいっくんが小学校に入学するタイミングで、西田さん一家は豊岡に移住を果たしました。移住を決意してから4年あまり、物件を内覧してからもすでに3年以上が経っていました。

後編では、移住から4年経った西田さん一家が実際に住んで感じた豊岡の魅力や戸惑ったこと、さらに次男・いっくんがどう成長していったのかをご紹介していきます。

この記事を書いた人

田上 敦士

城崎生まれ。大学進学で上京し、大阪のテレビ局に就職して30年余り。早期退職して2020年に但馬に帰ってきました。
合同会社TAGネット 代表(といっても、社員は私だけです)

http://www.tag-net.work

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