一人の移住者として…平田オリザさんに聞く
みなさん、こんにちは。市民ライターの田上敦士です。
この春、豊岡市に但馬初の四年制大学「芸術文化観光専門職大学」が開学します。この大学の学長に就任されるのが、劇作家の平田オリザさん。2015年から城崎国際アートセンターの芸術監督(2021年3月末で退任)・豊岡市の文化政策担当参与も務める平田さんは、2019年の9月に豊岡市日高町に移住して来られました。2020年春には、主宰する劇団「青年団」の本拠地となる「江原河畔劇場」がオープン。すべての活動の拠点を豊岡市に移された平田さんに、一人の移住者として豊岡への思いを伺いました。
選択肢は少ないが「ここに無いもの」はほとんどない
――豊岡に移られて1年半。こちらでの暮らしはいかがですか?
コロナ以前は日本中を飛び回っていたので、豊岡に帰ってくるのは正直なところ月に3日くらいでした。それは東京にいた頃もそうだったので、生活が大きく変わったかというと、それほどでもなかったんです。
ただ、コロナ以降はほぼずっと豊岡にいて、但馬暮らしを満喫しています。劇場から眺める円山川の景色は素晴らしいですし、自宅の書斎からも山や川が望めます。豊かな暮らしですよ。
――不便を感じられることはないですか?
全然ありません。私の家から、特急も停まる江原駅まで歩いて4分です。車なら、自動車道の入口まで5分、但馬空港まで10分です。歩いて行けるところにスーパーもあるし、それほど不便を感じていません。
確かにお店の選択肢は都会より少ないですが、ここに無いものはほとんどないです。おいしいイタリアンレストランも、素晴らしい和食のお店もあります。スターバックスはないけど、もっと素敵なカフェがいくつもあります。若い頃だと「ないものねだり」しがちですが、私の年になると、選択肢の多さは必要ではなく、それぞれのジャンルで満足できる店が一つあれば十分じゃないですか。今は通信販売も発達していますし、ここに住んでいるからといって手に入らないものはないです。
また、ここでは無農薬で作られた野菜が安く手に入ります。地元の旬の食材をたくさん並べているスーパーもあります。都会ではどんな野菜でも通年手に入りますが、こちらでは旬のものしか売っていない。それも「選択肢が少ない」ということではありますが、逆にその方がいいですよね。
アーティストというのは、基本「ボヘミアン」
――活動拠点を豊岡に移されたきっかけは?
直接的には、4年ほど前に大学の学長のお話をいただいたことですね。学長を務める以上は豊岡に住まないといけないと思いました。自分がこちらに住むとなると劇団ごとこちらに移さないといけないので、まず私の引っ越し先を決めて、それから稽古場探しに入りました。いくつか紹介してもらったうちの一つが、ここ江原河畔劇場です。もともと商工会館として使われていた建物でしたが、ここなら稽古場としてだけでなく劇場としても十分なキャパシティがあったので、ここを整備することにしました。
――劇団員の皆さんの反応は?
名簿上だと劇団員は200人くらいいるのですが、実際にアクティブに活動しているのは70~80人というところでしょうか。そのうち14名、家族なども含めるとおよそ30人が豊岡に移住しています。それ以外のメンバーは、稽古期間中などの必要な時期のみ豊岡に来る形をとっています。中には、引き続き東京にいてほしかったという団員もいるかもしれませんね。
実は2007年ごろ、それまで務めていた富士見市民文化会館(埼玉県)の芸術監督を終えた際に「次にどこか地方から芸術監督の話があれば、その地に本拠を移すかも」と劇団員へ伝えていました。もちろん、豊岡市の話をいただくよりもずいぶん前の話です。私たちは国内外の様々な場所で活動していますので、拠点が東京である必要は特にないんです。拠点を移すというのは、製造業であれば工場の移転にあたりますが、製造業のように輸送が発生するわけではないので、生産地と消費地が近い必要はありません。そもそも、アーティストというのは基本「ボヘミアン(放浪者、自由人)」なんで、どこにいてもいいんです。
――ご家族はどうでしたか?
妻は大賛成でした。今の家には庭があるので、土いじりを楽しんでいます。
私は55歳で初めて子どもを授かったのですが、ちょうど豊岡市からお話をいただいたのは子どもができたことが分かった時期で、豊岡への移住を決意する決定打というか、最後の一押しになりましたね。今の時代、東京で子育てをするのは大変なので。実際、うちの子も東京では保育園に入れませんでした。今は園庭の広々とした保育園で、同年代の子どもたちとのびのび遊んでいます。
暑さ寒さも大したことない…と言うと、逆にがっかりした顔をされるんです(笑)
――豊岡の気候についてはどうですか?夏は暑く、冬は寒いですが…
夏は、都会の方が暑いですよ。昼間の最高気温だけ比べると豊岡の方が高い日も多いですが、豊岡は昼夜の寒暖差が大きいので、午後6時くらいになると30度を切ります。京都なんかだと9時とか10時ごろまで30度を超えてますからね。また、都会の暑さは排気熱なので、非人間的な暑さという気がしますね。
夏には、庭に大きなビニールプールを広げて子どもと遊びました。2畳くらいの広さがあって子どもが5人くらい入れるんですよ。うちのご近所さんはみんな持っていますが、東京では絶対できないですよね。
――冬はどうですか?この冬は初めて雪を体験されたかと思いますが…
雪は好きですよ。子どもも雪が降ったら大喜びです。市街地だと、雪が降っても何日かすると溶けますしね。雪かきグッズも進化してますし、たまたま我が家のそばには雪を捨てられる溝があるので、雪かきもそれほど苦にはならないです。昔は今より雪が多かったようなので、昔だったらちょっと大変だったかなと思いますが、今くらいなら許容範囲ですね。学生時代ワンダーフォーゲル部に入って雪山にもよく行っていましたし、2か月ほどですが青森に住んでいたこともあるので、雪にはそれなりに慣れているんですよ。
寒さについても、学生時代に住んでいたソウルでは日中でもマイナス15度といった寒さでしたし、ヨーロッパでは冬が演劇シーズンなので寒い時期のヨーロッパの都市に滞在することも多かったので、それらに比べたら大したことないと感じています。
――私、去年の春にこちらに戻ってきて、空き家だった家に一人で住んでいるんですが、正直この冬の寒さにはちょっと参りました…
あ、それは分かります。家を探すとき、最初は賃貸や中古の住宅でもいいかと考えたのですが、実際見せてもらうと、これでは冬は寒いだろうと感じました。小さい子どももいるので、思い切って家を新築することにしました。今は技術が進歩しているので、新築の家は熱効率の点でよくできていて、古い家とは全然違いますよ。
この住環境という点は、豊岡市がこれから移住される方を迎える上での一つの課題だと思います。大学の教職員でも、困っている人がけっこういます。古い空き家はたくさんあっても大きいマンションはないですし、家賃は思ったより高いし。若い人だったら、古民家みたいな家に住むのも面白いと思いますけどね。
――東京のご出身なので、但馬の気候にはもっと戸惑われたかと思ったのですが、ちょっと拍子抜けしました…
暑さも寒さも大したことないと言うと、なぜか但馬の方はちょっとがっかりしたような顔をされるんですよね(笑)
しいて言えば、私は大丈夫なんですが、虫が苦手な方はちょっと辛いかもしれませんね。それくらいですよ。
「自然と便利さのバランス」がちょうどいい場所
――ご近所づきあいで戸惑われたことは?
うちのご近所さんについて言うと、全くないです。適度な距離を保った、大人のお付き合いをしていただいていて、そこはすごく恵まれています。うちの子と同年代の子どもさんがたくさんいらっしゃるのもありがたいですね。こちらにいる時には、神社の掃除などの地域の活動に私も参加しています。
――いよいよ4月には専門職大学が開学します。たくさんの学生が但馬の外からやってきますね。
北海道から沖縄まで、全国から学生がやってきます。1年目は全員寮に入るのですが、東京や大阪から来た子と地方から来た子では、豊岡の印象はずいぶん違うでしょうね。都会から来た子は、やはり初めは不便を感じるでしょう。特に、車を持っていない学生は移動に苦労すると思います。ぜひ、自分なりに生活の工夫をしてほしいと思っています。一方で、地方出身の子は、豊岡を「意外と都会じゃないか」と感じるんじゃないでしょうか。だいたい何でもそろっている街なので。
冬になったら、当然寮の周りの雪かきもみんなですることになるので、雪かきの仕方を教え合ったりすることになるでしょう。そんな様子を想像すると、素晴らしいですね。
――学生さんだけでなく、豊岡への移住を考えているすべての皆さんに、移住者の先輩として一言いただけますか。
「豊かな自然」だけなら日本中どこにでもあります。でも、ここは「自然と便利さのバランス」がちょうどいいところだと感じています。海や山で、様々なアクティビティがあるのも魅力です。なので、それほど身構えずに来ていただけたらと思います。
《取材を終えて》
「アーティストはボヘミアンですから」と穏やかに語る平田さん。「豊岡で生きる!」そんな強い決意というよりは、あくまで自然体でこの土地の魅力を満喫し、充実した日々を送っていらっしゃることが感じられました。
「豊岡での暮らしは不便だ」「こんな気候の厳しいところは住みにくい」なんて感じているのは、実はここで生まれ育った私たちの先入観に過ぎないのではないか…平田さんとお話しているうち、そんな気がしてきました。