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移住者に聞く・youはどうして豊岡に?~①森さん夫妻《前篇》~

こんにちは。市民ライターの田上敦士です。

「飛んでるローカル豊岡」の市民ライターには、私のようなUターン組を含め、「第二の人生」「地域おこし協力隊」「農業をするために」「結婚を機に」などいろいろな理由で豊岡に移住してきた人がいて、皆とても個性的です。
そして、市民ライター以外にもユニークな移住者の方が豊岡にはたくさんいます。そこで、いろんな移住者の方にお話を聞いてみよう!というシリーズ企画を始めることにしました。題して「移住者に聞く・youはどうして豊岡に?」。
第1回は2021年春、豊岡市竹野町に移住して来られた森さんご夫妻です。

夫の森英嗣さん(右・52)は「bozzo(ボッゾ)」の名で、ダンス・演劇撮影を中心に活躍する舞台写真家。妻の森歩さん(左・47)は現在、香美町の但馬漁業協同組合にお勤めです。

取材のためご自宅にうかがうと、竹野浜にほど近い古民家は改修工事の真っ最中。廊下は前日にコンクリートを流し入れたばかり、本来の「居間」は畳と床が外された状態でした。この工事は「エクセルギーハウス」という、床下などに水を循環させることでエアコンを使わなくても夏は涼しく冬は暖かく過ごせる仕組みを作っているんだとか。

この仕組みについても気になるところですが、まずはお二人のプロフィールと移住までの経緯をご紹介します。

写真家の夫・bozzoさんと、元日本語教師の妻・歩さん

仙台生まれのbozzoさんは、お父さんがいわゆる「転勤族」だったため子どもの頃は福島や大阪など各地で暮らし、中学時代からは東京・杉並区で育ちました。美術大学卒業後、写真スタジオのアシスタントなど紆余曲折を経て、沖縄の広告代理店にディレクターとして転職しました。一方、歩さんは東京生まれの東京育ち。沖縄に移住した際にbozzoさんと出会い、結婚後は日本語教師となってフィリピンや沖縄で経験を積みました。

bozzo(以下b)「沖縄には28歳くらいから、12年いました。もう東京に戻るつもりはなかったんですが…やっぱり写真を仕事にしたいと思ったんですよね。経験値を上げて、自分の写真を確立するためにはやはり東京に戻るしかないと。また、自分の撮りたいものも東京に多くあったんで。」

東京に戻り、bozzoさんは写真家として、歩さんは日本語教師として、それぞれのキャリアを重ねて約10年。突然のコロナ禍が襲います。bozzoさんのメインの活動の場である舞台公演は軒並み中止になり、歩さんの日本語学校も学生が激減しました。

コロナ禍を機に、東京を離れる決意を…

歩「もともとその前から、海外への移住を考えていたんです。どこにいても写真は撮れるし、日本語教師の仕事はむしろ海外の方が需要はある。具体的には、台湾を候補にしていました。そんな時にコロナで仕事がオンラインになってしまい、もう東京にいる意味はないと思いました。ただ同時に、海外移住というのも難しくなってしまったので、国内で移住先を探すことにしたんです。」

bozzoさんは、平田オリザさんが当時芸術監督を務めていた豊岡市の滞在型施設「城崎国際アートセンター(KIAC)」や、「豊岡演劇祭」と連動したまちづくりの動きについて、以前から平田さんの講演などを通じて知り、興味を抱いていました。こうして、豊岡市が森さん夫妻の移住の候補に浮上したのです。

竹野の海がキレイすぎた!ただ…

b「2020年5月、まずは豊岡市のオンライン移住窓口に相談してみました。そこで話が盛り上がったのと、ちょうど、旧知のダンサーが7月にKIACに滞在するタイミングだったので、それに合わせて初めて豊岡を訪ねました。」

歩「4泊して、海沿いのこの家や山間部の家、合わせて3軒見せてもらったんですけど、とにかく竹野の海がキレイすぎて!住むならここだと思いました。もともと『自然の中の、庭のある一戸建て』が希望だったんですけど、山の中の一軒家みたいなところよりも、集落の中で人々が肩寄せ合って生活しているここの感じに惹かれました」

それで移住を即決!かと思ったのですが、実は歩さんには少し引っかかることがあったとか。

歩「こっちでいろんな方にお話を聞く中で、『冬場は晴れる日がめったにない』と聞いて、それはさすがにキツいなと思ったんですよ。これまでそんなめったに太陽を拝めないようなところに住んだことないので」

生きている体感がない日々…とにかく動こう!

b「ぼくが説得したんです。『まずは動こう。沖縄の暑さだって、住んでみないと分からないものがあったじゃないか』と。何よりもこの出会いに乗ってみたいという思いがあったんですね。コロナでロックダウンに近いような状況になって、東京にいると何も考えられないというか、自分の生きている『体感』がない日々だったんで、とにかく動いて、自分たちがこの先どう生きるかを考えたかったんです。」

ついに移住を決断!歩さんの仕事も決まり…

東京に帰って1か月ほど悩んだ末、移住を決断したお二人。4か月後の11月に契約のため、再び豊岡にやってきました。

歩「この時は契約と同時に、私の職探しという目的もありました。本当は日本語教師の仕事を続けたくてこちらでもいろいろ探してみたんですが、ボランティア的なところはあっても仕事としての需要はなかなか無いということが分かったんです。それで、方向を変えることにしました。2011年の東日本大震災以降、東北の農産物などを都会の消費者に届けるマルシェなどにボランティアとして関わってきたので、こちらでも一次産業に近いところで何かできることはないかと思って仕事を探しました。そんな時、ちょうど但馬漁協の職員募集があったんです。」

3度目に豊岡にやってきたのは、年明けの1月でした。歩さんの漁協の面接と、家の改修の打合せです。歩さんは「雪景色がキレイでした。その時はまだ観光気分が残ってましたね。」と振り返ります。
引越しまで3回の豊岡訪問にあたっては、豊岡市から交通費や宿泊費の補助があったということです。
※年度により補助内容は変更となる可能性があります。詳しくはこちらをご参照ください

竹野の暮らしは「最高です!」

そして3月に引越し。半年経って、竹野での暮らしはどうですか?

b「最高です。竹野の人はけっこうとっつきにくい方が多いとも聞いていたんですが、全くそんなことはなくて、いろんな人がこの改修中の家を覗きに来てくれます。「工事進んでる?」とか「カメラ教えて」とか、世話焼きの方が多いというか、受け入れられていると感じています。」

一生懸命探しても出会えなかったのに、諦めたら道が開けた…不思議ですね

お二人のお仕事の方はどうですか?

b「今は、ぼくは基本的に働かない(笑)。 仕事があれば撮るし、それ以外は主夫です。東京時代は忙しくて仕事で一杯一杯になっていたこともあったんですが、コロナで仕事がなくなって家にいるようになってみると、実はその方がうまくいくということが分かったんです。最近ではKIACの試演会や「豊岡meets大道芸」の写真を撮りましたし、「豊岡演劇祭2021」のヴィジュアルも撮ったんですが、中止になってしまって…9月は演劇祭を撮る気マンマンだったので一気にヒマになりましたが、自転車でいろんなところに出かけています。」

歩「今は漁協の商品開発とか、企画流通とかの仕事をしています。4月から働いていますが、異業種転職なので一から覚えることばかりで、面白いです。まだ漁師さんと直接接する機会はあまりないんですけど、これからもっと『顔の見える関係』になってくると、いろいろできることは広がってくるんじゃないかと思います。あと、入って分かったんですけど、漁船の乗組員にはインドネシアからの技能実習生の方がかなりいらっしゃいます。水産加工工場にもベトナムの実習生の方がいます。将来的にはそういう人たちに日本語を教えるという機会があるかもしれません。日本語の教師の仕事を探していた時には出会えなかったのに、別の道に進むと決めたら目の前にそういう機会が現れたというのは、不思議なめぐりあわせを感じますね。」

森さんご夫婦の話はまだまだ続きますが、ここでいったん一区切り。

後編では、今まさに工事が進む「エクセルギーハウス」について、そして夫婦の目に映る竹野の町と、竹野の町で生きていく夫婦の将来の姿について伺います。

この記事を書いた人

田上 敦士

城崎生まれ。大学進学で上京し、大阪のテレビ局に就職して30年余り。早期退職して但馬に帰ってきました。
合同会社TAGネット 代表(といっても、社員は私だけです)

http://www.tag-net.work

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