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たんしん演劇部の記録 ~豊岡演劇祭のはじまりを知る人たちから見た、たんしん演劇部~

「深さをもった演劇のまちづくり」

こんにちは!
豊岡市の地域おこし協力隊であり、妻にくっついて移住してきた妻ターン夫のまつじゅんこと松原潤です。

今年も、豊岡演劇祭2026 ”9月18日~9月27日” が迫ってきました。

そこで、今回は豊岡演劇祭2025の中で上演された、たんしん演劇部の『金庫よ、信用にあたれ!』にまつわるお話をお届けします。

上演から1年近く経った今でも、たまに話題に出るほどの反響がありました。
そして、公演についていろいろな人と話をする中でさまざまな声を聞きました。

「面白かった」という声と同じくらい、
「これは単なる公演ではない気がした 」
「豊岡でこういうことが起きているのがすごい」

そんな言葉をたくさん聞いたんです。

演劇そのものの感想というより、 “この出来事自体”に対する反応が多かった。

そこでふと思いました。

そもそも、豊岡演劇祭ってどんな目的で始まったんだろう?
「深さをもった演劇のまちづくり」って言うけど、それってどんなものなんだろう?

演劇でまちづくり?深さ??・・・はて???

この問いに対して、自分が関わったたんしん演劇部という出来事を通して見ていけば、その意味が少し分かるかもしれない。

そんな疑問の答えを求めて、今回は豊岡演劇祭の始まりを知る人として、元豊岡市長の中貝宗治さんと、元豊岡市教育長の嶋公治さんにお話を聞いてきました。

その前におさらい

まずは豊岡演劇祭のことを知らない方のために、簡単にご説明します!

豊岡演劇祭は、豊岡市が掲げる「深さをもった演劇のまちづくり」を推進する場のひとつとして、2020年から豊岡市を中心に但馬地域各所で開催されている演劇フェスティバルです。

国内外から多くの演劇人やパフォーマーが集まり、まちのさまざまな場所で公演が行われ、劇場だけでなく、海岸や酒蔵、神社の境内、大学、公共施設など、普段は舞台ではない場所も公演会場に。

市外、県外、そして海外からも多くの観客が訪れ、まち全体が演劇一色に包まれる、豊岡ならではのイベントです。

そんな豊岡演劇祭において、2025年に上演され話題になったのが、但馬信用金庫による「たんしん演劇部」です。

たんしん演劇部は、豊岡演劇祭のフリンジプログラムに採択され、実際の信用金庫の窓口を舞台にした作品「金庫よ、信用にあたれ!」を上演しました。

地元の金融機関が演劇祭に参加するという珍しい挑戦と、実際の営業店舗を舞台にした斬新な取り組みは、多くの注目を集めました。

僕自身も、この作品にキャストとして出演していました。

公演当日の様子や、出演者として感じたことについては、こちらの記事で紹介していますので是非読んでみてください。

▼たんしん演劇部、本番当日の記録
https://tonderu-local.com/life/29231.html

豊岡演劇祭のはじまりを知る人 ひとり目

元豊岡市長 中貝宗治さん

「地域活性化じゃないんです 」

―豊岡演劇祭はそもそも何のために始めたんですか? やはり地域活性化のためなんでしょうか?

中貝さん:
よくそう聞かれるんですけど、違うんです。
これは人口減少対策なんです。

―え?演劇で人口減少対策ですか?

中貝さん:
そうです。豊岡は、一度豊岡を離れた若者の中でも特に20代30代の女性が帰ってこないという課題がありました。

それはなぜかというと、「このまちで暮らしたい」と思える魅力が足りないからです。
だから、まずはまちに個性をつくらないといけない。しかも、都会と同じことをやっても意味がない。
都会に勝つためには、都会にはない尖ったものをやる必要があった。
その一つが、演劇だったんです。

―なるほど……でも、それがどう人口減少対策につながるんですか?

中貝さん:
まずは新しい観光をつくることです。

演劇祭をやると、外から人が来る。
泊まるし、ご飯も食べるし、まちを歩く。

それが毎年続くと、同じ人が何度も来るようになるんですよ。
いわゆるリピーターですね。

そうなると、ただ演劇を観に来るだけじゃなくて「このまちってどんなところなんだろう」とか 「地元の人と話してみたい」と思うようになる。

そうやって、少しずつ市民と接点が生まれていくんです。

―なるほど。演劇を観に来た人が、だんだん豊岡のまちそのものにも触れていくということですね。

中貝さん:
そうです。演劇やダンスを目当てに来た人が、飲みに行ったり、ご飯を食べに行ったりする。そこで地元の人と話をする。

「どこから来たんですか?」
「演劇を観に来たんです」
「え、わざわざ豊岡まで?」

そういう会話が生まれる。

すると、外から来た人にとっては、演劇だけじゃなくて、豊岡で出会った人やまちの雰囲気も含めて思い出になるんです。

―演劇祭を観に来た人と、豊岡の人が接点を持つようになる。

中貝さん:
そうすると、観光の担い手が、少しずつ市民の側に移っていくんです。

最初は、宿泊業や飲食業の人たちが中心かもしれない。
でも、外から来た人がまちを歩き、地元の人と話し、豊岡の暮らしに触れていく。

そうなると、観光は一部の事業者だけのものではなくなっていくんです。

演劇祭に来た人が、
「このまち、面白いな」
「また来たいな」
と思う理由は、演目だけではない。

そこで出会った人や、まちの空気も含めて、豊岡の魅力になっていく。

―それが、まち全体の魅力につながっていく、と。

中貝さん:
外から来た人と市民が混ざると、まちの中にいろんな価値観が入ってくる。

演劇やダンスって、そもそも自分とは違う考え方や表現に触れるものです。

最初は「よく分からない」と感じるものでも、見続けているうちに、
「そういう表現もあるんだな」 と思えるようになる。

そういう経験が積み重なると、まちの寛容性も少しずつ育っていく。

変わったものをすぐに拒否するのではなく「まあ、そういうものもあっていいよね」と思える人が増えていく。

―まちの寛容性が育つとどうなるんですか?

中貝さん:
外から来る人を受け入れる土壌になり、いろんな人が入りやすくなるんです。

そして、多様な人が交わるようになると、新しい価値が生まれる。
異なるもの同士の接触が、イノベーションにつながるんです。

そうやって、まちの空気が変わっていく。

その結果、外に出ていった若い人が、外から豊岡を見たときに、
「あれ、豊岡ってなんか面白そうだな」
と思うようになる。

「このまちなら、自分にも何かできるかもしれない」
と思えるようになる。

そこで初めて、都会に対して勝てる部分が出てくるんです。

―なるほど!演劇を入口にして変化を起こし、まちの空気を変えていく。
これが「深さをもった演劇のまちづくり」ってことなんですね!

「象徴的な出来事」だった

―その中で、今回のたんしん演劇部はどういう存在だったんでしょうか?

中貝さん:
象徴的な出来事だったと思います。

演劇祭って、どうしても市民に根付くのが難しい部分があるんです。

外から来るもの、という印象になりやすい。

その中で、地元の企業が主体になって、自分たちの場所で演劇をやる。

これは、演劇祭と市民をつなぐ、とても大きな一歩だったと思います。

―中貝さんは今回の公演、実際にご覧になっていましたよね。お客さんとして見て、率直にどう感じましたか?

中貝さん:
すごく良かったですよ。とても分かりやすかったし、純粋に面白かったです。
難しく考えながら観るというより、リラックスして楽しめる作品でした。

それとやっぱり、場所ですよね。
実際の信用金庫の窓口を使っているというのがすごく新しかった。

しかも後ろでは本当に職員の方が仕事をしている。
その前で演劇が行われているという、あの空間の特別さは、他ではなかなか味わえないと思います。

―僕自身も出演者として、お客さんの反応がすごく良くて演じながらとても楽しかったです。あれだけお客さんが喜んでくれたのは、なぜだと思いますか?

中貝さん:
やっぱり、「地域の仲間がやっているものだ」と感じてもらえたからだと思います。

但馬信用金庫を知っている。
あの場所を知っている。
出演している人を知っている人もいる。

そうすると、観る側の気持ちが最初から少し開いているんです。

「観に行く」というよりも、
「応援しに行く」に近い感覚だったんじゃないでしょうか。

だから、笑うところで素直に笑えるし、楽しむ準備ができている。

その距離の近さが、今回の大きな魅力だったと思います。

ただ、それは決して「知っている人たちが出ているから温かく見てもらえた」というだけではありません。
単なる“素人演劇”ではなかった。 

実際には演技としてもきちんと見応えがあり、お客さんを楽しませるだけの力があった。
そのうえで、地域との距離の近さも重なったことが、今回の大きな魅力だったのだと思います。 

信用金庫の窓口が舞台になった

涙の理由

―もうひとつ、個人的にとても印象に残っていることがありました。
公演後、中貝さんと一緒に観劇されていた方が涙を流されていたように見えたんです。あの涙には、どんな思いがあったのでしょうか?

中貝さん:
妻ですね。

妻は、芸術文化観光専門職大学の学生たちのことをずっと見てきました。

学生たちは、豊岡に来た当初から必ずしも温かく迎えられたわけではありませんでした。

「演劇なんて必要なのか」
そういう空気の中で自分たちの存在意義に悩みながら、それでも地域の中に入ろうとしてきた。

その学生たちが卒業して、今度は地元企業と一緒に作品をつくり市民に受け入れられている。
その姿を見たときに、これまでの時間が重なったんだと思います。

さらなるチャレンジを

―最後に、たんしん演劇部に対して、これからどんなことを期待されていますか?

中貝さん:
さらなるチャレンジを期待しています。

去年もすごく面白かった。
でも、そこで満足するんじゃなくて「次はどんなことをやってくるんだろう」と、また驚かせてほしい。

そうやって、少しずつレベルアップしていってほしいなと思います。

演劇祭自体も、毎年少しずつ変わりながら続いているものなので、たんしん演劇部もその中で一緒に育っていく存在になっていくといいですよね。

「舞台」以上のもの

中貝さんの話を聞いて、僕の中で少し整理できたことがあります。

たんしん演劇部は、ただ「面白い演劇」というだけではなかった。

豊岡演劇祭が目指してきたものと、地元企業、大学の卒業生、そして市民が交わることで生まれた、ひとつの象徴的な出来事だったのだと思います。

演劇祭が外から人を呼び、
その人たちが豊岡の人と出会い、
少しずつまちの空気が変わっていく。

たんしん演劇部は、その流れの中で、
演劇祭と豊岡のまちをつなぐ、ひとつの接点になっていたのかもしれません。

 

豊岡演劇祭の始まりを知る人 ふたり目

元豊岡市教育長の嶋公治さん

 

 

舞台上で生まれた「縁」

次に「豊岡演劇祭の始まりを知る人」としてお話を伺ったのは、元豊岡市教育長の嶋公治さんです。

豊岡演劇祭2025には、「演、縁、宴」というテーマがありました。
そして、たんしん演劇部にも、公演を通じて様々な縁が生まれました。

嶋さんとの「縁」が生まれたのは、まさかの舞台上! 


『⾦庫よ、信⽤にあたれ!』の本番中、僕がお客さんをいじるシーンがありました。
これは台本にある段取りではなく、お客さんに楽しんでいただくために僕が勝手に始めたアドリブです。

なので、誰に話しかけるかは決まっていないのですが、客席に知り合いが観に来ていたらその人をいじるようにしていました。
知り合いなら相手も受け入れてくれるだろうし、最悪失敗してもあとで謝ればいいと思っていたからです。

その日もそのシーンが来たときに知り合いを探して客席を見渡していると、最前列の席に、ただならぬ存在感を放つ方が座っていました。

でも、僕はその方とお話ししたことはありません。

 

・・・・・この人をいじったら、どうなるんだろう


 

湧き上がる好奇心に勝てず、気がついたら僕はその方に話しかけていました。

 

そしてそのやり取りで会場は大盛り上がり!


その方も楽しんでくださったようで、公演後に少しお話しする機会があり、その方が豊岡市の嶋教育長だったことが分かったのです。(当時は現役の教育長でした)

 

ウケてよかった~~~~~~!!!

あぶねぇぇぇ⋯!

 

そんな偶然のやり取りをきっかけに、嶋さんとお話しさせていただくようになりました。

嶋さんは、豊岡の教育に関わる立場であり、豊岡演劇祭が始まった当時のことも知る方です。

だからこそ今回、たんしん演劇部の取り組みが、嶋さんの目にはどのように映ったのかを聞いてみたいと思いました。

地元の金融機関が演劇部を立ち上げると聞いて

―豊岡演劇祭に地元の金融機関が“自ら演劇部を立ち上げて参加する”と聞かれたとき、どんな印象を持たれましたか?

嶋さん:
私がこの情報をもらったのは、たしか平田オリザさんからだったように記憶しています。
なので、芸術文化観光専門職大学の卒業生が就職しても演劇を続けるという環境が金融機関にできたことの意義を感じ、豊岡市もここまで文化的になったのかと嬉しくなりました。

しかし、スタートは卒業生ではなく但馬信用金庫の職員からの発案だったことを知り、文化や芸術には市民の眠っていた資質や技能や夢を触発させる可能性があることを実感しました。

職場そのものが舞台になったとき

―実際に会場でご覧になったときのことを教えてください。

嶋さん:
昨年のプログラムの中で最も一体感を感じました。
とりわけ、後ろの仕事机で普通の表情をして仕事をしているという数名の演技には自然に笑いがこみ上げてきましたし、前で演じている3人を引き立てていたように思います。

主役の3名は、演劇を楽しんでいるのが伝わってきました。

観客席にいると、物語が進むにつれてお客さんたちが舞台上の3人を少しずつ受け入れていく様子が伝わってきました。
時間が経つにつれ、会場全体が3人を温かく見守るような空気に変わっていったんです。


この言葉、本当に嬉しかったです。
今回の演劇は、決してキャスト3人だけでつくられていたわけではありません。

エキストラとして出演してくださった但馬信用金庫の職員さんたち。
準備や当日の運営を支えてくださった職員さんと芸術文化観光専門職大学の卒業生たち。
そして何より、信用金庫の窓口を舞台として使うというチャレンジを受け入れ、実現させた但馬信用金庫という組織そのもの。

そのチャレンジングな姿勢があってこそ、今回の舞台は成立したのだと思います。

そして、観に来てくださったお客さんたち。
みなさんの反応に僕たちの演技が引き上げられていったのを感じました。

まさにその場にいた全員でつくり上げた一体感だったのだと思います。

信用金庫の職員さんが、ラジオで自身が出演する演劇の告知をするという珍しい様子

「自分たちも何かできるかも」

―最後に、この「たんしん演劇部」という取り組みが、豊岡演劇祭や豊岡のまち全体にどんな意味や影響をもたらしたと思われますか?

嶋さん:
演劇祭の地元のしかも一般的に固いというイメージの金融機関が参加したことで、「もしかしたら自分たちも何かできるかも」という表現のモチベーションには大きな影響があったと感じます。

「たんしん演劇部」の上演が終わった時、妻が言ったことは、「たんしんが近くなった。」でした。


今回の企画は、たんしん演劇部の部長でもある小山さんのある言葉から始まっています。

「信用金庫がこんなことするはずがない、そんなふうに思われるような、バカバカしいコメディがやりたい。そして、その演劇を通して豊岡の人、但馬の人を笑顔にしたい。」

僕はその言葉を聞いて、自分たちがやりたい演劇を見せるのではなく、演劇という手段を使って地域を元気にしたいという思いに共感し、出演のオファーを受けました。

嶋さんが言うように、今回の取り組みが「もしかしたら自分たちも何かできるかも」という気持ちにつながったのだとしたら、そして「たんしんが近くなった」と感じてくださる人がいたのだとしたら。

それは、たんしん演劇部のチャレンジが人の心を少し動かしたということなのかもしれません。

たんしん演劇部が起こした小さな変化

中貝さんと嶋さん。

お二人のお話を聞いて、たんしん演劇部が豊岡演劇祭の中でどういう存在だったのかが少し見えてきました。

「信用金庫がこんなことをするはずがない」

そう思われるようなことに、あえて本気でチャレンジする。

その姿勢こそが、中貝さんの言う、異なるもの同士の接触から生まれるイノベーションの第一歩だったのかもしれません。

何もないと言われることもあった豊岡が、刺激のあるまちになっていく。

外から来た人だけが表現するのではなく、地域の中にいる人たち自身が、自分たちの場所で表現し始める。

たんしん演劇部は、その小さな一歩になれたのかもしれません。

今年のたんしん演劇部

たんしん演劇部は、残念ながら今年の豊岡演劇祭には参加できませんでした。

フリンジの申し込みが過去最高となり、選外となってしまったためです。

ただ、公演後には

「見逃したのでまたやってほしい」
「もう一度観たい」

というありがたい声もたくさんいただきました。

そこで、9月11日と12日に但馬信用金庫主催による自主公演が行われることになりました。

今回上演するのは、昨年の作品をベースに、新たなキャストを加えてリメイクしたアップデート版です。

詳細は今後順次発表される予定です。

昨年ご覧いただいた方も、見逃してしまった方も、ぜひ楽しみにお待ちください。

この記事を書いた人

まつじゅん

2024年6月に埼玉から豊岡に移住してきました!現在は豊岡市の地域おこし協力隊として活動しています。
移住前は東京でお笑い芸人として活動していました!(メインの収入はアルバイト!)
こちらでは、妻の出身に移住してきた男性、いわゆる【妻ターン夫】のお話を紹介していきます。
よろしくおねがいします!

https://toyooka.adalo.com/ido

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