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まつじゅんの妻ターンジャーニーin豊岡④ ~信用金庫×演劇×妻ターン~

今回は番外編

豊岡演劇祭2025が幕を閉じました。

僕は「たんしん演劇部」という団体で『金庫よ、信用にあたれ!』という演目に出演者として参加しました。

地元の金融機関が演劇部を立ち上げ演劇祭に参加する。
卒業後も豊岡に残る選択をした芸術文化観光専門職大学の卒業生が、舞台づくりの中心となって地域を盛り上げる。

――そんな、いくつものドラマが「たんしん演劇部」にはありました。

その中でも今回は、僕自身の目線でのドラマをお届けします。
妻ターンで豊岡に移住してきた僕が、移住当初は想像もしなかった流れに巻き込まれていく物語を、ぜひお楽しみください!

豊岡演劇祭ってどんなもの?

まずは豊岡演劇祭のことを知らない方のために、簡単にご説明します!

豊岡演劇祭とは、豊岡市が掲げる「深さをもった演劇のまちづくり」を推進する場のひとつとして、2020年より豊岡を中心に但馬地域各所で毎年開催される一大イベントです。
国内外からたくさんの演劇人やパフォーマーが集まり、街中を舞台にさまざまな公演が行われます。
市内の劇場はもちろん、海岸、酒蔵、神社の境内、大学や公共施設など、あらゆる場所が“演劇の舞台”に変わります。
市外から、県外から、海外からも観客が訪れ、町全体が熱気に包まれるーー豊岡ならではの個性溢れるイベントです。

新しい人生をスタートするために

第一弾でお話したように、僕は東京でお笑い芸人をやっていたのですが⋯

コロナ禍でお笑いを辞めたあとも未練が断ち切れず、解散した相方を誘って趣味でライブや大会に出たりもしていました。
正直、東京で芸人を辞めた人間の中で、一番未練たらたらだった自覚があります(笑)。

でも、いつまでも中途半端ではいられない。
豊岡に移住することは「お笑いができる環境を断ち切り、新しい人生をスタートするための決断」でもありました。

だから移住後にまた人前で演技をするなんて、まったく考えていなかったんです。

きっかけ

たんしん演劇部部長の小山さん

そんな僕がなぜ演劇祭に出ることになったのか。

きっかけは、僕が地域おこし協力隊として一緒に仕事をしている但馬信用金庫(通称たんしん)の職員さんからの声がけでした。

「たんしんで演劇部を立ち上げて、今年の演劇祭に挑戦しようとしているんです。その中心になっている人の話をぜひ聞いてみてほしい」

そう言われて紹介されたのが、人事部次長の小山さん。60歳を前にしたベテラン職員さんでした。

「いつか但馬信用金庫で演劇部を作って演劇祭に出るのが夢だったんです。そんなとき、芸術文化観光専門職大学から新卒で2人が入ってきてくれて、ついに演劇部を立ち上げることができました。それで、演劇祭に参加するためにお芝居やお笑いの経験を持つ松原さんの力を貸してほしいんです」

最初は「信用金庫が演劇?なんの冗談?」と思いました。
でも、小山さんの口から出てきたのは単なる個人の夢だけでなく、「演劇を通して地域を盛り上げたい」という強い思いでした。

「信用金庫がまさかこんなことをするはずない一一お客さんにそう思わせるようなコメディをやって、豊岡の人を笑顔にしたいんです」

その言葉を聞いたとき、僕の心の中で変化が起きました。

僕は今、地域おこし協力隊として豊岡で暮らしながら、地域の人のためにできることを探している。
だからこそ、
「もしかしたら、自分の力を使って豊岡を盛り上げることができるかもしれない」
そう思えたんです。

舞台から距離を置くために来た豊岡で、舞台の力を“人のために”使うチャンスが来た。
だったらやってみよう一一そう思って飛び込むことを決めました。

稽古スタート

稽古場ではベテランも新入職員も関係ない

今回の企画は、実際の信用金庫の窓口を舞台にするという、演劇史上前例のないチャレンジでした。
しかも出演者は、実際にそこで働く信用金庫の職員さんたち。それと僕。
舞台づくりを支えるのは、芸術文化観光専門職大学の卒業生が中心という座組。

異例づくしで幕を開けた稽古は、まさに手探りの連続でした。

脚本は芸術文化観光専門職大学を卒業した永井さんが素晴らしいものを書いてくれたけれど、
「どうやって面白く表現するか?」を試行錯誤する日々。

僕もたんしんの職員さんも本業を抱えながらの参加なので、稽古時間を十分に取るのが難しい。
「果たして本番までに間に合うのか」―そんな不安が常につきまとっていました。

しかし、本番が近づくに連れ、立ち込めた暗雲に少しづつ光がさすように、協力してくれる人が現れ出したんです。

通し稽古を見に来てくれた演劇祭の運営チームの方々が貴重なアドバイスをくれたり、

取材に来ていた映像制作者さんが「ここが良かった」と稽古を見てフィードバックをくれたり、

さらに芸術文化観光専門職大学の先生が稽古を見に来てくれて、いつの間にか演出をつけてくれるまでに。
稽古最終日には、わざわざ時間を割いてくれて申し訳ないと言う僕らに対し、「僕はもうこのチームの一員だと思っている」という言葉をくれて、本当に胸が熱くなりました。

そして、たんしんの職員さんたちも、みなさん本業が忙しいのにも関わらずエキストラさんやスタッフさんとして続々と協力してくれることになったんです。

気づけば僕たちは、肩書きも年齢も関係なく「ひとつのチーム」になっていました。

幕が開く

小山さんと一緒にFMジャングルに出演

そうしてついに本番初日を迎えました。
ここまで来たら、稽古してきたことを信じて演じるのみ。

とはいえ、正直不安でした。
この演目はコメディを謳っている。
にも関わらず、笑いが全く起きなかったら⋯

でも、いざ舞台が始まると、想像以上のお客さんの反応が返ってきたんです!
笑い声や拍手が会場を包み、その熱が僕たちの演技をさらに引き上げていく。

稽古で積み重ねてきたものが、客席の力で一気に高い場所へと押し上げられていく感覚でした。

予想外の反応

僕は、お客さんに「楽しかった」とだけ思って帰ってもらえるコメディを目指してきました。
笑って、スッキリして、帰り道に「いや〜面白かったな」と言ってもらえれば、それで十分だと思っていたんです。

だけど、初日の本番で目にした光景は想定外でした。
コメディなのに、涙を流しているお客さんが数人いたんです!

終演後、その中のお一人がこう話してくれました。
「演劇を辞めようか悩んでいたけど、今日の公演を観て、もう一度頑張ろうと思えました」

泣いていたお客さんそれぞれに違う理由や背景があったと思います。
でも確かに、僕たちの演劇が「楽しかった」以上の何かを届けられたんだと感じました。

感動は広がる

八嶋智人さんが観に来てくれました

そして感動していたのはお客さんだけじゃないんです。

初日の幕が降りたあと、記録映像用にカメラマンさんが小山さんへ感想をインタビューしていました。
ところがそのカメラマンさん、なんと泣きながらカメラを回していたんです!

思えばこの方は稽古期間からずっと僕たちを追いかけていました。
手探りで不安だらけの段階から、仲間が増えて、少しずつ形になっていく過程をすべて見てきた人です。
だからこそ、本番でお客さんが盛り上がり、幕を降ろした瞬間に込み上げてきたものがあったんだと思います。

カメラを回す人も、撮られている人も両方泣いてる一一まるでコントかと思いました(笑)。

さらに、たんしんの職員さんたちも口々に言いました。

「人生が変わった」
「信用金庫に勤めていてよかった」

本業の職場が舞台になり、その舞台でお客さんの笑い声や熱気を直に感じる。そんな非日常を体験したからこその言葉だったと思います。

リアルがゆえに

ちなみに、本番中には思わぬトラブルも。

本物の窓口を舞台にしているので、上演中に電話が鳴ったりATMが稼働したり。

真面目で静かなシーンで「お金の取り忘れにご注意ください」という音声が響き渡った回もありました(笑)。

普通ならトラブルなのに「リアルすぎて逆に面白い!」とお客さんは楽しんでいた様子でした。
これも“たんしん演劇部らしさ”でした。

そして千秋楽へ

本当の窓口で演劇を作る様子

この演目は発表されてすぐ話題になり、チケットは発売開始後すぐに完売してしまいました。

そのため、舞台初日から当日券を求める列はできていましたが、千秋楽はもう別格でした。
東京の人気ラーメン屋かよ!ってくらいの長蛇の列ができていました。
ちょっと怖いくらいでした。

そうして迎えた最後の公演は、舞台と客席が完全に一体化!
笑いと拍手の熱気が渦巻き、幕が降りても拍手はなかなか鳴り止みませんでした。

あの場にいた全員が、「とんでもない瞬間を共有した」と感じていたと思います。

 

僕たちは、何かを成し遂げることができたと思います。
それが何かはまだ言葉にできないけれど、この豊岡にひとつのムーブメントを起こすことができたんじゃないかと思っています。

地元の信用金庫が演劇祭に参加することで、豊岡の人たちが初めて演劇に触れるきっかけにもなったと思います。

僕の妻ターン

僕はスピリチュアルなことには一切関心がありません。
でも今回の出来事には、運命を感じざるを得ないんです。

僕は「妻ターン」で豊岡に来ました。
自分がやりたいことがあったわけじゃなく、ただ妻の地元だから移住してきただけでした。
この移住が舞台から距離を置くきっかけになるとすら思っていました。

それなのに、移住先に演劇祭なんてもんがあって、予想もしない流れに巻き込まれ、気付けば地域の人たちと力を合わせて舞台に立ち、笑いと涙を共有する経験をした。

移住前には想像もしなかった―これが僕のノンフィクションドラマです。

 

こんな特別な体験をさせてくれた豊岡と、但馬信用金庫の皆さんに心から感謝をしています。

この挑戦を成功に導いたのは、但馬信用金庫の「地域を盛り上げたい」という真剣な思いと、前例のないチャレンジ精神でした。
それが「信用金庫の窓口で演劇をやる」という無茶な企画を現実のものにし、成功へと導いてくれました。

そして、豊岡には「チャレンジを受け入れる土壌」があるということを感じました。
普通なら笑われるような挑戦でも、一緒に走ってくれる人がいて、応援してくれる人がいる。

豊岡に来てよかった。

 

最後に。
僕をこの豊岡に連れてきてくれたのは妻でした。
この予想外の出来事の連続は、妻ターン移住だからこそ得られた奇跡だと思います。
僕に『妻ターン』という人生の選択肢を与えてくれた妻に、ありがとうと伝えたいです。

この記事を書いた人

まつじゅん

2,024年6月に埼玉から豊岡に移住してきました!現在は豊岡市の地域おこし協力隊として活動しています。
移住前は東京でお笑い芸人として活動していました!(メインの収入はアルバイト!)
こちらでは、妻の出身に移住してきた男性、いわゆる【妻ターン夫】のお話を紹介していきます。
よろしくおねがいします!

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