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市民ライターが見た豊岡の学生生活~城崎~

豊岡市で起業して2年半、城崎温泉で書店を営みながら妻と4人の子どもたちと暮らしております、市民ライターの西垣です。

城崎生まれの私は、城崎保育園、城崎幼稚園、城崎小学校、城崎中学校に通い、高校からは電車通学で豊岡実業高校に通いました。その後大阪へ出て進学と就職を経験し、Uターンで豊岡に戻りました。
今日は、私が城崎に生まれて学校生活を過ごし大阪へ出るまでのお話をしたいと思います。

 

私の住む城崎エリアにある学校園は、城崎こども園、城崎小学校、城崎中学校です。

城崎こども園

私が通ったのは、旧・城崎保育園。
現在は城崎保育園と城崎幼稚園が統合され、城崎こども園となっています。
定員は100名で、対象年齢は生後6か月~就学前までです。

温泉街の西の少し山側にあるお寺、極楽寺の隣にあります。
城崎は人口が多くはありませんので、ここで出会った同級生とは中学校卒業まで同じクラスで過ごすことになります。

こども園が旅館街から近いので、保護者が旅館の仕事の合間を縫って送り迎えをするのは、今も昔も変わらぬ光景です。

城崎こども園では、近所の城崎国際アートセンターから海外のアーティストが来てくれることもあり、演劇やアートを通した学びや英語でのやりとりが盛んに行われます。
こういった環境もあり、子どもたちは驚くほど海外の方との会話やコミュニケーションに慣れています。まさに、“ローカル&グローバル(ローカルな資産を活かし、新たな価値を生み出して世界とつながる)”を体現している城崎の子どもたちです。

豊岡市立城崎小学校

城崎小学校には、約160名の児童が通っています。
城崎駅から歩いて2分ほどの場所にありますが、温泉街方面とは逆方面にあるので、観光で訪れた方は小学校があることに気づかないかもしれません。

城崎小学校を含む市内の小・中学校では、“ローカル&グローバル学習”として、コミュニケーションや英語の授業の他に、“ふるさと”を意識した授業が行われています。
ふるさと教育では、コウノトリ野生復帰について学び、コウノトリの生態やエサとなる生きものの調査をするために田んぼに出かけます。また、無農薬や減農薬でお米を育て、生きものを増やす工夫を取り入れた地域特有の「コウノトリ育む農法」についても学びます。

城崎小学校は、コウノトリの生活拠点にもなっている「ハチゴロウの戸島(としま)湿地」に近く、日常的にコウノトリの成長を感じることができます。子どもたちが通学途中にコウノトリを見かけることも、最近では珍しくなくなってきました。

私たちが子どもの頃は、自分の食べているお米がどんな環境で作られているか知ることはほとんどありませんでした。今の子どもたちは、コウノトリも住めるような安全な環境でお米が作られていることをしっかりと学んでいるようです。

豊岡市立城崎中学校

城崎中学校には、約70名の生徒が通っています。
温泉街の奥に位置する、城崎国際アートセンターへ続く道の途中にあります。

豊岡市では現在、小・中学校を一貫でとらえる教育プランが実行されています。先に紹介した“ローカル&グローバル学習”が、小中一貫教育の柱です。
演劇の要素を取り入れたコミュニケーションの授業は小学校から継続され、中学校では“集団で取り組む”ことや“誰に伝えるか”ということを意識した授業が行われているそうです。
現代では、就職や受験でコミュニケーションスキルや表現力が必要になってきたと言われていますので、この授業が子どもたちの将来に大きく関係することはもちろん、何よりも、子どもたちが社会に出た時に人種も文化も違う人たちと楽しく触れ合うようになれるのであればとても嬉しいなと、一人の親として思っています。

さて、中学生になると、子どもたちの生活に変化が現れます。
部活動が忙しくなったり、進路という問題が出てきたり……
またこの頃から、子どもだけで電車に乗って、市の中心地である豊岡エリアに出かけて行くようにもなります。

城崎には、中学生が買い物をする所や遊べるような場所は、実はあまり無いのです。
私が中学生の頃も、電車に乗って2駅先の豊岡エリアまで遊びに行っていました。

兵庫県立豊岡総合高等高校

市内には公立・私立を合わせると7つの高校があります。
しかし、城崎エリアに高校はないので、城崎の子どもたちは他のエリアの学校に通学します。

私が通ったのは、豊岡実業高等学校。
現在は、統廃合を経て豊岡総合高等学校に名前が変わっています。生徒数が減少していることをリアルに感じる瞬間です。
現在の定員は600名で、市内では大きい高校です。

私が高校生の頃は、機械・電気・土木・建築・商業科がありましたが、現在は総合学科・環境建設工学科・電機応用工学科があり、理数系・文系の他にファッション造形基礎やビジュアルデザインなどの選択科目もあって、昔と比べるととても進んだ高校になっています。

当時から就職率の高い高校だったので、卒業したらすぐに働こうと決めていた私は、豊岡実業高校に進学しました。

今では豊岡の高校生たちは市内で遊ぶことが多いのですが、私が高校生の頃はコンビニも無かったし、欲しいものは都会に行かなければ買えませんでした。インターネット通販もまだ普及していない時代でした。

「いつか都会に出て生活してみたい」という憧れが、どんどん膨らんだのを今でも憶えています。
今の子どもたちも同じような思いなのかな~と思います。

電車通学について

中学校までは徒歩で通学していた子どもたちも、高校へは電車やバスで通うことになります。

ついこの間まで見かけていた、近所の通学路を歩く子どもたちの姿を見かけなくなるのはこの頃です。子どもたちの行動範囲は豊岡の中心地へ移り始めるので、子どもによっては城崎のまちを外からの視点で見るようになってきます。

飛んでるローカル豊岡の記事でも度々出てきますが、豊岡では基本的に電車は1時間に1本なので、1本逃すと1時間待たなければいけません。

私は高校時代に電車に乗り遅れ、友達と自転車をこいで豊岡エリアまで行ったことがありましたが1時間かかりました。

豊岡の子が高校を卒業したら?

豊岡の子どもたちは高校卒業後、ほとんどの子が進学や就職で親元を離れます。少し寂しいような気もしますが、豊岡ではそれがごく普通の話です。

私も都会へ出ました。
豊岡は通える範囲に就職先や進学先がとても少なかったのと、田舎育ちの高校生にとって、都会というものに大きな憧れがありました。

私が城崎を出る時、「もう城崎で生活をすることはないだろうな」という気持ちでした。

憧れられる豊岡へ

以上は、私が城崎に生まれて学校に通い卒業するまでの生活です。

私の場合は年齢が上がるにつれて都会への憧れが大きくなり、「大人になったらこの地を離れる」と決めました。
高校卒業時も地元に残るという選択肢はありませんでした。地元を出ることが当たりまえだと思っていました。

しかし、ここ数年で豊岡が“ローカル&グローバル”なまちになっていき、私の学生時代からは想像もできないような魅力ある地元、豊岡になってきました。

インターネットの発達と交通の便利さで、地方にいても都会と同じように仕事ができるようになってきて、反対に、都会でできなかったことが地方なら実現できるというケースも増えてきました。今後、地方で働きたいと思ってくれる若者はますます増えていくと思います。

その昔……、
僕らは欲しいものに溢れた都会に憧れました。
逆に、今では、地方都市が都会に住む人々から注目されるようになってきているのではないでしょうか。

豊岡で学校教育を受けた子どもたちが都会から憧れられる、そんな時代がもうそこまで来ています。

この記事を書いた人

西垣崇史

兵庫県城崎温泉出身。高校卒業後に大阪で映像を学ぶ。
ITインフラが地方でも普及した事で”都会と地方の距離が無くなった”と感じUターン。
市内企業の勤務を経て2016年に「人が集まる場所を作る」をテーマに個人事務所を設立し独立。
飲食と宿泊機能を持つ書店「BookStore iChi」の経営の傍ら株式会社EVAの代表取締役を務める。プロデュースした短編映画「桜が咲く頃 交わした約束は、」がマドリード国際映画祭で外国語最優秀短編映画賞を受賞。

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