「わかもの巣立ち応援プロジェクト2019」応募者インタビュー~ママの働き方応援隊編~
こんにちは。
大阪からUターンしてまもなく2年、フリーランスWebデザイナーの岡田です。
豊岡の風物詩となりつつある「わかもの巣立ち応援プロジェクト」。
卒業シーズンになると、豊岡の町のあちこちに、都会に巣立つ若者に向けたメッセージポスターが貼られます。
そのポスターの写真撮影に同行し、メッセージをいただいた方々にインタビューをさせていただきました。
晴れてはいましたが、豊岡特有のとても霧深い日の取材となりました。
何気なくカメラを向けてシャッターを切ると、映画のワンシーンのような幻想的な風景写真が撮れます。
当たり前のことがこんなにもありがたい。
豊岡市を拠点に、”ママの働き方応援隊”、通称”ママハタ”のメンバーとして、地域の小学校、中学校、高校、高齢者施設や企業などに赤ちゃんと一緒に訪問して、赤ちゃんを通して実践する教育プログラム「赤ちゃん先生」を提供するなどの活動をされておられる、子育て真っ最中のお母さん3人と、その元気なお子さんたちに取材させていただきました。
“ママハタ”さんの活動については、同じ市民ライターの井垣さんの記事をご覧ください。
豊岡の赤ちゃん先生!〜ママの働き方応援隊〜
豊岡の代表の森本さん。(写真中央)
撮影と取材は森本さんが拠点とされている豊岡市奈佐地区で行いました。
取材中、森本さんの口から何度も出てきた印象的な言葉があります。
「当たり前のことがこんなにもありがたい」
森本さんは豊岡で生まれ育ち、高校卒業を機に18才で大阪へ。
大阪へ出て一人暮らしをすると、野菜の値段の高さに驚いたそうです。
豊岡にいるときは、おばあちゃんが野菜を育ててくれて、それを収穫して台所まで持ってきてくれるのが当たり前だったと。
当時は、もらった野菜をおばあちゃんに料理して、と言われて正直煩わしいと思っていたけど、大阪に出たからこそ、おばあちゃんが野菜をくれるという当たり前のことがとてもありがたく感じたそうです。
少し体調を崩された森本さんは、ご家族の「帰ってきていいよ」という言葉に甘えて、ちょっとゆっくりしようと療養のために豊岡に戻ってこられたそうです。
「自分のことをもっと見てほしい」「愛してほしい」「認めてほしい」
帰ってきた直後は、お母様に対してこのような欲求が強かったという森本さん。
結婚して出産し、自分が親になり、子育てのことで悩んだり迷ったりしている時に、お母様から「あなたもこんなだったよ」「あなたはこんなところが大変だったよ」というのを聞いて、今自分が感じていることと一緒なんだなと気づいたそうです。
療養していたころから興味を持ち始めた社会福祉活動。その想いが結婚、出産を経て「ママハタ」へとつながります。
「ママハタ」の活動を通じて、子どもと一緒にもっと地域に入って行っていいんだ!私にも役割があるんだ!と気づかれ、2人目を妊娠中に再度、豊岡へ来られました。
※朝来市で結婚と1人目の出産をされ「ママハタ」の活動も、朝来市にいたころからスタートされました。
これから過ごしていく地域の事をもっと知りたいと思い、地域の人たちとの交流会に足を運んだり、親子3世代で行うそば作りのイベントなどを見学していろいろな人の親子関係を見ていく中で、私にもこんな時期があったんだな、こんなに手をかけて育ててもらったんだな、ということに改めて気づいたそうです。
今まで当たり前だと思っていた地域の取り組みも、いろいろな人たちの想いや協力があって成り立っています。
今回応募いただいたメッセージ、
『つらくなったら思い出してね。小さい頃から18年間、支えてくれた人たちがいること。』
地元を離れて、もしつらくて逃げ出したくなったときは、小さなころからあなたたちのすぐそこにあった、豊岡の人たちや風景を思い出してください。
赤ちゃんのころから、当たり前のように支えてくれた人たちが、きっといつでも優しく笑ってくれているはずです。
だから、豊岡で過ごした時間の「当たり前のことがこんなにもありがたい」っていうことを、ちょっとだけでも覚えておいてほしいな、と思います。
この春、豊岡市を巣立つ皆さんへ。
コウノトリのように、自由に羽ばたくときがやってきた。
それぞれの思いのこもったメッセージが、
巣立つ背中をそっと押しますように。
これからも、あなたが帰りたくなるまちを目指して。
私たちも、このまちで頑張ります。
卒業おめでとう。
飛んでいけ。