コウノトリが飛ぶ畑で過ごした大豆収穫時間~「てまとひまと」大豆体験①~
好きなものの向こう側を知る時間
我が子たちは納豆が大好きです。
けれど、その納豆がどこから来て誰の手によってつくられているのか─。
そこまでは、きっと知らないまま食べているはず。正直に言えば私自身もそうでした。
せっかく豊岡で暮らしているのなら「好きなものの始まり」に一度ちゃんと触れさせてあげたい。
そんな気持ちから、「てまとひまと」さん主催の《大豆の収穫体験》に参加しました。
この体験に惹かれた理由は、もう一つあります。
子どもが貴重な経験をすることはもちろんですが、「この子たちに、こういう時間を用意してあげられた」と親自身が感じられることにも私は大きな価値があると思っているからです。
このイベントは今回限りの単発ではありません。
【収穫 → 選別 → 豆腐づくり】と、ひと粒の大豆が食卓に届くまで段階を追ってたどっていくシリーズ企画。
今日は、その最初の一歩となる“収穫の日”でした。
移住者である私たち家族にとって、こうした体験が「特別なこと」ではなく暮らしの延長線上に用意されていること。
そして、親も一緒にその時間を味わえること。
そんな“親のよろこび”が自然と生まれる機会が豊岡には本当に多い。
そのことをあらためて実感しました。
▲【イベント日変更】選別する大豆の乾燥・脱穀 の関係で 12/7(日)の「大豆カフェ&大豆選別会」の開催日時を1/17(土)に、「豆腐作り体験」を2/15(日)に変更となりました。
冬へ向かう田んぼの中で
今回お世話になったのは、豊岡市・出石(いずし)にある てらだ農園さん。
そして、収穫させてもらったのは「借金なし」という名前の大豆です。
名前のかわいらしさとは裏腹に、昔からこの地域で大切に育てられてきた、味わい深い品種なのだそう。
▲やせた土地でもよく育ち、土を元気にしてくれる大豆(右側)。この畑で来年はお米を作るそうです。
畑に集まると、てらだ農園の寺田さんが子どもたちに向けて大豆の育ち方や、大きなハサミを使った収穫の仕方をとてもわかりやすく教えてくれました。
説明が終わると、
「好きなところから切っていいよ」
そのひと言を合図に、子どもたちの表情が一気に変わります。
大豆畑に入るのは、子どもたちにとって初めてのこと。
大豆が生い茂る中で、最初は葉をかき分けながら手探りで進み、「どこを切ろうかな」と、自分が収穫したい場所を探しているようでした。
子ども主導の収穫が始まる
大きなハサミを両手で握りしめ、枝を自分で選び「ここかな?」と身を乗り出して切っていく姿は、遊びの延長のようでありながら誇らしくてたまらない表情でした。
パチン、と枝が切れる音と「できた!」という声があちらこちらで上がります。
▲はじめての収穫。小さな手で大豆の枝を一つずつ切っていく。
切り落とした大豆の枝は思ったより大きくて、子どもたちは両腕いっぱいに抱えて、前が見えないほどの大きさのままトラックへ向かって歩いていきます。
よろめきながらも「運ぶ!」という気持ちだけで前に進んでいき、荷台の前に着くと背伸びをして枝を入れようとします。
届かずに何度かやり直す子もいて、でもそのたびに笑いながら「もういっかい!」と挑戦していました。
自由に切って、自由に運んで、自由に積む。
その流れが、体験ではなく“自分たちの収穫”になっていくのを感じました。
▲切って抱えて運んで積んで
運搬機で生まれる一体感
大豆の収穫に少し慣れてくると、子どもたちの視線は、畑の端に停まっている運搬機へと向かいました。
寺田さんが
「 動かしてみる?」
と声をかけると、子どもたちの表情が一気に明るくなります。
操縦の仕方を教えてもらい、運転に挑戦。
レバーを動かすと運搬機がゆっくりと前に進み「うごいた!」という声と拍手が畑に響き、同じ畑で同じ時間を共有している。
そんな空気が自然と生まれたように感じます。
▲運搬機に夢中になる子どもたち。
関わる、ということ
こうした体験は、参加する私たち家族にとって学びや楽しさがあるだけでなく、
農家さんにとっても、人手が必要な時期に畑に人の手が入るという意味があります。
どちらかが「してあげている」のではなく、体験する側と迎える側が無理なく関わり合っている。
その距離感が、この場の空気をやわらかくしているように感じました。
もしかしたら、この経験がきっかけで、農業に興味を持つ人が大人にも子どもにも出てくるのかもしれません。
▲これだけの量から、どれくらいの大豆がとれるんだろう。
はじめての“柿の皮ごと丸かじり”
休憩では寺田さんが、収穫したばかりの柿といちじく、そして愛媛のみかんを振舞ってくださいました。
▲籠いっぱいの秋の実り
皮ごと食べられる柿に子ども達は驚き、ひと口かじった瞬間子どもの目がまん丸になり「えっ、なにこれ!」と驚いた声が出ました。
その素直な反応に、大人たちの笑い声が重なっていきました。
都会育ちの我が子たちは、柿そのものにあまり馴染みがなく、躊躇なく皮ごと豪快にかじる姿を見たとき、私自身非常に驚きました。
食べ終わった皮やヘタは、そのまま畑に投げてよいのだそうです。
「土に返るからね」と寺田さん。
“捨てちゃだめ”とふだん言っている私たちも、この日だけは全身を使って遠くまで投げて楽しんでいました。
生まれて初めて柿を皮ごと丸かじり。
真上をコウノトリが舞う
▲コウノトリが近くまで来てくれました。
休憩中、真上をコウノトリがゆっくり飛んでいきました。
大きな翼を広げて旋回する姿に、大人も子どもも大興奮。
豊岡らしい風景が、今日の“特別”にそっと刻まれました。
はじめましても仲間になれる
気づけば畑のあちこちで大人と子どもが自然に声をかけ合い、誰の子かなんていう垣根はなく「すごいね」「できたね」と笑顔で過ごす時間。
子どもたちも人見知りすることなく、初めて会う大人に枝を見せたり、笑ったりしていました。
はじめましてでも、その場にいる人が仲間になる─そんな空気が畑全体に広がっていました。
▲みんなで声を掛け合って収穫中
この土地の“育てる”に触れる
てらだ農園さんは子どもの「やってみたい」に寄り添い、危なくない範囲なら自由に任せてくれる大らかな場所でした。
作物だけでなく、季節や体験そのものを“育てている”ような場所だと感じました。
▲トラックの荷台が子どもの手でどんどん満たされていく。
「豊岡でよかった」その一言がなんだかうれしい。
埼玉にいたころは、こうした体験に気軽に参加できる環境はありませんでした。
遠出して体験に参加し、帰りはぐったり。
それでも「経験させてあげたい」と気持ちを奮い立たせていたように思います。
保育園でも芋掘りや種まきの機会を作っててくださっていました。
私は写真でその様子を見せてもらい、家で子どもに話を聞く。
その時間も確かに嬉しいものでした。
でも、今回のように同じ畑に立ち、子どもが夢中になる瞬間を隣で受け取れること。
その表情の変化や、小さな挑戦を目の前で見守れること。
それがこんなにも心に残るものなのだと、あらためて気づきました。
主人が帰り道に、
「子どもにこんな経験をさせてあげられてよかった。移住してよかったし、それが豊岡でよかった。」
と言いました。
その言葉を聞いて私は、子どもの成長より先に私たち親の心がそっと育っているようにも感じました。
移住者である私たち家族にとって、このような“自然の中でのびのび過ごす時間”は、豊岡で暮らす意味をあらためて確かめさせてくれる、そんな大切な時間でもありました。
あの頃の私に届けたかった時間
都会で子育てに追われて余裕を見失っていたころの自分に、
「大丈夫。こんな時間もちゃんとあるよ」
と、伝えてあげたくなる一日でした。
豊岡での暮らしは、気合いを入れなくても家族のペースが自然と整っていくような日々です。
遠くへ出かけなくても自然の中で子どもたちの背中を見ながら過ごせる場所がある。
その距離の近さが、今の私たち家族にはちょうどいいと感じています。
またこの畑で子どもたちの笑顔を見ながら過ごせたらいいな。
そんなことを思いながら、家路につきました。
▲てらだ農園さんからお土産でいただいた「寺ちゃん納豆」。大粒で冬限定の手作り納豆。




