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なんで日本・モンゴル民族博物館(略してモンパク)は但東町にあるの?なんでなんで?

なぜ但東町にモンゴルの博物館が?

まだ雪の残る2025年3月1日。冬のモンパク(日本・モンゴル民族博物館)です。

日本・モンゴル民族博物館(通称モンパク)

こんにちは。但東町在住、市民ライターの桑垣です。

はじめまして、の記事は但東町・資母地区にある「日本・モンゴル民族博物館」(通称モンパク)にフォーカスしてみました。

なぜ但東町にモンゴルの博物館が?

と思う方がいらっしゃるのではないかと思います。

かくいうわたしがそうでしたから。

モンゴルと姉妹都市なの!?

館内にはゲルが建っています。昔の生活が詰まっています。

・但東町とモンゴルのどこかの町が姉妹都市?

・モンゴルの人たちのコミュニティが形成されてる?

・元寇の時代、傷を負ったモンゴル兵が命からがらたどり着いて住み着いた?

いろんな想像をしてみましたが、どれも違っていました。

「シルクロード(=絹の道)」これがキーワードだった

なぜ「日本・モンゴル民族博物館」(以後はモンパク)が但東町に建てられたのか?その理由は、但東町から現与謝野町にかけて一大産業(絹織物産業)が隆盛を誇ったからです。

1970年代からその隆盛も少しづつ終焉に向かうのですが、80年代に「但東シルクロード計画」という、中央アジアに存在した交易路に倣った「ストーリー」を展開させようと当時の但東町のみなさんで考え、策定したそうです。

 

どえらい儲かったちりめん産業

「但馬ちりめん音頭」という曲を都はるみさんに歌っていただいたんだそう!!

丹後〜但馬にかけて絹織物が産業として一時代を作ったことをご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

いわゆる「ちりめん」(絹織物の一種)はもともと丹後地方で生まれたもので、但馬に伝わったのが1800年すぎの江戸時代だったそうです(約200年前)。

但馬は「ジメジメして、湿気ている」とよく言われます。秋冬は霧も多い地域です。人間にとってはその「うっとおしい」気候が絹織物には好都合だったようで、養蚕〜機織りは大きな発展を遂げました。1973年の但東町での売上は約103億円(いまは3〜5倍の貨幣価値なので300〜500億円規模)だったそう。そりゃあお金持ちが多かったはずです。こんな小さい町で300〜500億円って。。。。

なんでも「ご縁」ってあるんですねえ。。。たまたまが続いて繋がっちまった!

モンゴルの調度品って、ネイティブアメリカンのアクセサリーによく似ています。

そんなとき、大阪外国語大学(現在の大阪大学)のモンゴル語学科の学生さんが「シルクロードのまち」を標榜していた当時の但東町に興味を惹かれ、「シルクロード」のワードよろしく日本からモンゴルへ、モンゴルから日本へ、という行き来がはじまるきっかけになったそうです。実はこの「偶然の出会い」こそがターニングポイントでした。その後一気に交流が深まるようになったそうです。

 

貴重なアイテムを但東町にもってきちゃったから。。。。

これは「カザフ族」の好んだ織物紋様。かわいいと評判です。ポーチが人気です。

そんなきっかけで但東〜モンゴルのつながりがはじまり、在モンゴル日本大使館に勤務しておられた金津匡伸さん(故人)との出会いが「日本・モンゴル民族博物館」ができる大きな契機になったそうです。当時、金津さんはモンゴルの文化財や民俗資料が市場で売買され海外流出するのを見かねて貴重な品を自費で買い上げて所有。それらをモンゴルとのつながりが生まれた但東町で公開することにしたのがモンパクだったそうです。

つまりは「人の縁」が紡いだ糸がモンゴルと但東を繋いでしまった

モンゴルはチベット仏教です。

つまりかいつまんで言うと

☆絹織物(シルク)産業が発展した町

☆「これってシルクロードじゃん!」って言ってたら、モンゴルとの交流を望んでた学生さんがモンゴルと繋がった。

※このあたりの流れがわかりにくかったんです。

☆モンゴル大使館の金津さんと出会っちゃった。貴重なお品を持ってた。その品を見てもらおう!

☆よし、博物館作っちゃおうぜ!モンゴルの博物館、日本にここだけやで!

っていう不思議な「ご縁」が繋がった、結果だったらしいのです。

でも、この「つながり」って「国際交流」の「重要な契機」ですよね、間違いなく。

但東町meetsモンゴル

せっかく生まれた「偶然な出会い」

これからも大事にしたいものです。

みんなが交流する”ジャンクション”に!

5月末の「たんたんマルシェ」はモンパクで開催されました。ヴィンテージカーがずらり並んで、マルシェも大盛況。

ちなみにプチ情報ですが、入口を入ってミニ図書エリアと左奥に座敷があるんですが

地域のみなさんの「憩いスペース」であり、博物館の「有料エリア」ではないんです。

ちょっと立ち寄ってお茶飲んでてもいいし、なんならお弁当持ってきて食べる方もいらっしゃるそう。持ち込みしてください!

いきなり博物館、ではなくまずはそこの憩いスペースに立ち寄ってみるのもいいのではないでしょうか。

もちろんトイレもあるので気軽にぜひ。

わたしもよく利用して仕事しています。

 

この記事を書いた人

桑垣 徹

2024年5月に「孫ターン」で豊岡に住み始めました、豊岡2年生です。
2025年4月から豊岡市但東地域集落支援員になりまして、情報収集中です。

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