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ボランティアから見た豊岡演劇祭 ~人と地域をつなぐ“サポートスタッフ”~

こんにちは。市民ライターの田上敦士です。

今年(2024年)も9月6日から23日までの18日間にわたって豊岡演劇祭が開催されました。今年は豊岡市を中心に、養父市、朝来市、香美町、さらに宝塚市でも上演され、たくさんの人が参加するイベントとなりました。

豊岡でのナイトマーケットの様子(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会 撮影:トモカネアヤカ)

昨年に引き続き私は今年の演劇祭も「サポートスタッフ」として参加しました。サポートスタッフとは演劇祭の運営をお手伝いする、いわゆるボランティアサポーターのことで、各地の芸術祭などでは一般的な制度です。豊岡演劇祭では去年から導入され、今年は20人余りが参加しました。そのうちおよそ半数は東京など但馬以外から来てくれたスタッフです。

サポートスタッフと芸術文化観光大学の実習生ら(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会)

私自身が参加した動機は「地元での大きなイベントに、何らかの形で参加したい」というものでしたが、各地から集まったスタッフの目的は「演劇をたくさん見たい」「ほかのサポーターとの交流」「まちづくりへの関心」などさまざまで、大学生や大学院生といった若い人が多く私にとっても刺激をもらえる楽しい日々でした。また、「いろんな演劇を見られる」というのもサポートスタッフの特権です。業務中は必ずしも客席の中に入れるとは限りませんが、一般には公開されないゲネプロ(最終リハーサル)を観ることができたり、担当以外の日に別の演目を(席が空いていれば)観たりすることもできるのです。

江原河畔劇場での仕事の合間に「バーガーシティ」のハンバーガーを…

サポートスタッフの仕事とは

さて、サポートスタッフの具体的なお仕事について、実際に私が担当した演目に沿ってご紹介しましょう。

まず、第1週に担当したのが、演劇祭のオープニングプログラムだった、たじま児童劇団の「転校生」でした。フェスティバルディレクターの平田オリザさんが30年前に書かれたこの作品、出演者のほとんどが地元の中高生とあって、客席は家族や同級生など地元の皆さんで埋まっていました。

たじま児童劇団『転校生』(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会 撮影:igaki photo studio) 

この演目では私は「チケット係」と「場内案内」を担当しました。チケット係はお客さんのチケットのQRコードをチェックする仕事、場内案内はお客さんを空いている席に誘導したり、終演後にスムーズに退場していただくようご案内したりする仕事です。この演目は舞台装置と客席や移動の動線の距離が近く、お客さんが舞台エリアに立ち入ったり装置に触れたりしないように気を遣いました。また、地元のお客さんには比較的高齢の人や観劇に慣れていない人も多く、QRコードを提示してもらうにも丁寧な対応が必要でした。

受付準備中のサポートスタッフ 左が筆者(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会)

第2週で担当したのは、出石永楽館で上演された「読売テレビプロデュース・ムーンライトセレナーデを聴きながら」でした。この作品の作・演出は、読売テレビでドラマの監督を務める岡本浩一さん。実は出石出身で、御実家は永楽館から徒歩数分。物語も同郷の偉大な政治家・斎藤隆夫をテーマにしたものと、まさに岡本さんの“出石愛”が結実した作品です。一方で豊岡演劇祭としては初めてのテレビ局とのコラボ作品とあって、特撮ヒーロー番組やバラエティ番組に出演する俳優さんや読売テレビのアナウンサーさんが出演する、この演劇祭としては異色の作品となりました。

私と同様に但馬出身でテレビ局に進んだ方は少なく、お姉さんが私の高校時代の同級生だったこともあって岡本さんには親近感を抱いており、私が担当するコミュニティFMの番組にも電話出演をお願いしました。

読売テレビプロデュース 『ムーンライト・セレナーデを聴きながら』(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会 撮影:igaki photo studio)

読売テレビプロデュース 『ムーンライト・セレナーデを聴きながら』(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会)

この演目では、演劇祭グッズの物販を担当。Tシャツや手ぬぐい、ステッカーや缶バッジなどバラエティに富んだグッズが用意されています。ただ、この演目には「岡本さんを幼いころから知る出石のおばちゃん」から「主人公を演じたイケメン俳優さんの追っかけ」までとても幅広いお客さんが来場しましたが、全体的に「豊岡演劇祭を見に来た」というよりは「この作品を見に来た」方が多かったという印象で、そのことが影響したのかグッズの売り上げは他の会場よりはやや少なめでした。

別会場での物販の様子(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会)

最終週はこうのとりスタジアムで上演された「スリーピルバーグス第2回野外公演 in スタジアム!リバーサイド名球会」を担当しました。テレビで活躍される人気俳優・八嶋智人さんや豊岡出身の芸人・男性ブランコ・平井まさあきさんが出演されたこともあって、チケットが早々に完売した今回の目玉演目の一つです。一方で、「屋根のない野球場」という演劇の舞台としては極めて特殊な舞台であり、さらに「物語が3部構成でそれぞれに観客が移動する」「劇のクライマックスでは実際に野球をプレイする」という空前絶後の試みも取り入れられており、お客さんが「面白かった」と口を揃える素敵な作品でした。

『リバーサイド名球会』(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会 撮影:トモカネアヤカ)

『リバーサイド名球会』(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会 撮影:igaki photo studio)

『リバーサイド名球会』(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会 撮影:igaki photo studio)

ここで私は「誘導チーム」に配置されました。通常と違って劇の最中にも移動が発生することや、そもそも全く客席ではないところ(入口の階段やグラウンド上)にお客様を案内することで、普段のお客様誘導とは全く違う緊張感がありましたが、一方で「カンパニーの一員」として演劇づくりに参加している感覚を味わうことができました。
「カンパニー」とはショービジネス界用語で、その作品の出演者から演出家・プロデューサー・舞台監督などの裏方の方々までひっくるめて制作側のチームを指す言葉です。常設の劇団だと「劇団」とほぼ同じ意味になりますが、多くの演劇は演目によって出演者やスタッフが集まるので、「カンパニー=劇団」とも言えません。あえて日本語で言えば「一座」というところでしょうか。通常のサポートスタッフの仕事はあくまでも「演劇祭の運営側」の立ち位置なので、一歩深く演劇祭に関われたような感覚です。

『リバーサイド名球会』の入場受付の様子(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会 撮影:igaki photo studio)

18日間に72プログラムが上演

『うみやまむすび夢十夜 こんなゆめをみた!!の旅』リターンズ 〜TAJIMA発☆奇々怪々方面、ヘンテコ!?夢うつつ行き。ぶらりとご乗車くださいませ〜(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会 撮影:igaki photo studio)

会期中にはこの3演目はもちろんのこと、ほかにもいくつかの作品を観ました。チケット入手が困難な、JR西日本とのコラボによる演劇列車「うみやまむすび夢十夜 こんなゆめをみた!!の旅」も、発売直後に購入して昨年に続いて乗車しました。この作品のように楽しい演目から、戦争という重いテーマを扱った大岡昇平原作の「野火」、地元ネタをふんだんに盛り込みながら高齢化・少子化社会というテーマを取り上げた「空き家」、さらにリーディングやダンスパフォーマンスなど、豊岡演劇祭のラインナップには本当に幅広い作品が並んでいるなと改めて感じました。

堀川 炎 『野火』(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会 撮影:igaki photo studio)

Platz市民演劇プロジェクト 『空き家』(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会 撮影:3waymoon)

ダンスカンパニー Mi-Mi-Bi 『島ゞノ舞ゝゝ』 (しまじまのまいまいまい)(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会 撮影:igaki photo studio)

サポートスタッフを務めて感じた「課題」

一方で、サポートスタッフを務めてあらためて感じた課題もありました。それは「交通」です。豊岡市だけでも淡路島よりも東京23区よりも広い上に、香美町や養父市、さらに今年は朝来市にまで会場は散らばっていて、それらを結ぶアクセスの問題は演劇祭が始まった当初から大きな課題となっています。観客向けには臨時バスを運行するなどの対策は取られていますが、遠方からやってきたスタッフの移動手段は十分ではありません。私たち地元のサポートスタッフが同じ現場についていればクルマに同乗してもらうこともできるのですが、必ずしもそれが可能だとも限りません。また、この種のボランティアスタッフは各地の芸術祭などでも一般的で、「スタッフ同士の交流」というところに意義を感じて参加する人も多いようなのですが、会場が分散し移動にも時間がかかることで交流の場が持ちにくいという問題も感じました。

さらにサポートスタッフは完全に無償なので、遠方からの交通費や滞在費、現地での移動費も本人負担となります。東京から来てくれていた若いスタッフに会期後に話を聞くと「とても楽しかったしいい経験になったけど、負担も大きいので来年も行けるかというと…」と話していました。

江原のナイトマーケットで開催されたサポートスタッフ交流会(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会)

もちろん、演劇祭の上演会場を城崎国際アートセンター・江原河畔劇場と豊岡市中心部にあるいくつかの施設に集約すれば、アクセスの課題はそれほど大きな問題にはならないでしょう。しかし、「演劇祭を通じて豊岡、但馬のいろいろな魅力を知ってもらう」というテーマを掲げている以上「アクセスの不便なところでは開催しない」というのはその趣旨を見失うことにほかなりません。

農村歌舞伎舞台で上演された 烏丸ストロークロック × 但東の人々 『但東さいさい』(画像提供:豊岡演劇祭実行委員会 撮影:igaki photo studio)

豊岡演劇祭はまだまだ始まったばかりです。様々な課題に対するはっきりした「正解」は、おそらくないでしょう。試行錯誤を繰り返し、いろいろなバランスをとりながら少しずつ形が固まって大きくなっていく…今はまだそういう段階なんだと思っています。

この記事を書いた人

田上 敦士

城崎生まれ。大学進学で上京し、大阪のテレビ局に就職して30年余り。早期退職して2020年に但馬に帰ってきました。
合同会社TAGネット 代表(といっても、社員は私だけです)

http://www.tag-net.work

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