マルマツスポーツが、町に残したもの
閉店の知らせ
「マルマツスポーツが閉店する。」
その知らせを聞いたとき、胸が締め付けられる思いでした。江原駅前に佇む、青と白の外観がおしゃれなスポーツ用品店。
僕の父はスポーツが好きで、小学生の頃に少年野球を始めた僕にバットを、中学生になって卓球部へ入ると卓球のラケットを買ってくれました。スポーツを始めるときは、マルマツスポーツへ行くのが当たり前。父と店主の安雄さんが話し込んでいた時間さえ、よく覚えています。
これから日高の子どもたちは、スポーツを始めるときどこへ行くのだろう。一軒のスポーツ用品店が閉じることで、町からなくなるのは商品を買う場所だけなのか。
マルマツスポーツの歴史に答えがある気がして、閉店セール中のマルマツスポーツを訪ねました。
閉店セールの様子
▲手書きのポップ
店に入るとまず目に入ったのは、あちこちに飾られたポップでした。手書きの、温かみのある文字で感謝の言葉が綴られています。壁には昔のチラシも貼られていて、一枚ずつ眺めていると、この店が歩んできた時間がそのまま並んでいるようでした。
店内のあちこちで、声が弾んでいます。僕も知り合いの顔を見つけて、思わず「お久しぶりです」と声をかけました。きっとみんな同じように、懐かしい誰かと再会していたのだと思います。
店の一角には、ノルディックウォークのコーナーがあります。ポールが並ぶ横には、神鍋高原の観光マップも置かれています。スポーツ用品店でありながら、神鍋の魅力まで一緒に届けようとしている。そこにも、地域と歩んできたお店らしさを感じました。
僕は、卓球を始めたばかりの娘にラケットを買いました。かつて父が買ってくれたのと同じ店で、今度は僕が娘のために選ぶ。その巡り合わせが感慨深かったです。
後ほど、長年店を営んできた安雄さんと、娘の和加子さんにお話を聞くことができました。
閉店セールの様子をうかがうと、和加子さんは笑いながら振り返ってくれました。
「私もこんな小さいお店で、しかも昔みたいに物量が多いわけじゃないので、正直そこまで想像してなかったんです。ところが、初日を迎えると、昼までお客さんがひっきりなしで。レジも私と夫と、二人がかりでした」
店には懐かしい方々が次々と訪れたそうです。
「同級生、友人、学校の先生や退職された学校関係者、スキー教室に通っていた教え子、長年のお客さんまで。久しぶりに顔を合わせたお客さん同士が、そのまま思い出話を始めることもありました。ただ安いから来た、という人もいたと思うんです。でもそれ以上に、ゆかりのある方や懐かしいお客さんが来てくださって。長いことやってこられたっていうのは、こういうことなのかなって思いました」
スポーツ用品店なぜこの町に必要だったのか
▲昔の記事(マルマツスポーツさん提供)
店の始まりは、安雄さんのお父さんの代にさかのぼります。戦前、大阪のスポーツ用品会社で修行したお父さんは、終戦後、こう考えたそうです。
「戦争には負けたけど、学校という仕組みがあれば、子どもたちは学び、体を動かす。だからスポーツ用品は、この先もずっと必要とされる生業になる」
昭和30年前後、こうしてこの商いは日高で根を張り始めました。現在の店舗とは少し離れた場所に店を構え、扱ったのは学校の体育用品、野球部のユニフォームやグローブ、体操服など。地元の方々の多様なニーズに対応し、店の背骨をつくっていきました。
昭和30年代、日高町の神鍋高原のスキー場は爆発的なブームを迎えます。
今では信じがたい話ですが、都市部のスキーヤーたちは、仕事が終わるとそのまま夜行の臨時列車に飛び乗り、夜中に最寄の江原駅で降りました。そこから神鍋高原へは、バスで向かいます。何台もの全但バスが対応していたそうで、夜にもかかわらず、江原駅周辺はバス待ちのお客さんで長い行列ができ、ごった返していたといいます。
今のように、自家用車で直接スキー場へ行く時代ではありません。列車を降り、バスに乗り換えて神鍋へ向かう。その流れの途中に、マルマツスポーツがありました。
朝6時半から9時ごろ、神鍋へ向かうスキー客が店に立ち寄り、必要なものを揃えて山へ上がっていきます。やがてスキーの修理も手がけるようになり、店とは別に、神鍋のスキー場に修理専門の「山小屋」も構えていたそうです。
しかし昭和40年代、モータリゼーションの波が押し寄せます。個人で車を持つ時代になると、駐車場のない角地の店は、しだいに不利になっていきました。「駐車場がないと成り立たない時代になった」と、店は昭和47年に一度移転を検討し、最終的に現在の店舗を構えたのは昭和57年。10年越しの決断だったといいます。
土曜の午後は、神鍋へ
▲当時の広告(真ん中の男性は若い頃の安雄さん)
お店の話と並んで、どうしても外せないのが、安雄さんが始めたスキー教室のことです。昭和50年代から60年代にかけて、10年以上続いたそうです。
きっかけは、安雄さんのこんな思いでした。
「僕は但馬に生まれて、こんなに自然に恵まれたところはないと思っとるんです。海は近いし、スキー場も近い。それなのに、雪国に住みながらこたつでゲームをしとったらもったいない。雪に触れてほしかったんです」
講師を務めたのはお店のお客さんで、スキーの腕に自信のある人たち。毎週土曜の午後、学校が終わってご飯を食べたら、バス停に集合します。貸切バスで神鍋へ上がり、2時間ほどの講習を受けて帰ってくる、という流れでした。
参加費は3000円。内訳を聞いて、思わず声が出ました。
「1000円がリフト代、1000円が講師の方へのお礼、あとの1000円がバス代です。ほとんどボランティアですね。『ちょっと安すぎませんか』と言われましたけど、儲けるためにやっとったわけじゃないですから」
ゼロから始めた子どもたちが、シーズンの終わり頃にはぐんぐん滑れるようになる。それが何より嬉しかったと、安雄さんは目を細めます。
シーズンの途中には一泊の合宿。春休みには、なんと長野県まで遠征したそうです。
「1日で100キロぐらい滑るんです。そうすると、脚力が全然違ってくる。帰ってくる頃には、みんなびっくりするほど上手になっとりました」
その後、子どもたちの習い事が増えるにつれて、教室に通える子は少しずつ減り、自然と幕を閉じました。
「ピアノだ、水泳だって、みんな忙しくなっちゃって。まあ、仕方ないことですよね」と安雄さん。
静かに変わっていった町、それでも変わらなかったもの
▲人気の野球用品
昭和の終わりから平成にかけて、町の子どもたちの時間の使い方は、少しずつ変わっていきました。学習塾や習い事が多様化し、学校の統合も進んで部活動の数そのものが維持できなくなっていきます。
それでも、変わらなかったものがあります。
安雄さんに「このお店らしさ」を尋ねると、こんな答えが返ってきました。
「地域と一緒に歩んできたお店だったと思います。結局、インターネット販売もやらなかったんです。誠実なお付き合いをしたいというのが、一番だったんだと思います」
和加子さんが店に立っていた頃、学校帰りの中学生が何人かで店へ来ることがありました。
「何を買いに来ていたんですか?」
僕が尋ねると、和加子さんは間を置かずに答えました。
「その子たちね、何も買わないです。用もないのに来るんですよ」
そう言って、楽しそうに笑います。
「野球部の男の子とかが、集団で来るんですよ。基本、用もないんですけど。うちの夫もアホみたいな話が大好きなので、一緒にベラベラ喋って。ある子なんか、制服のズボンがやたら茶色くて、『どうしたん?』って聞いたら『田んぼでこけた』って。そんな他愛もない話をしに来てたんです」
そこから、またどうでもいい話が始まったそう。
「そういう話をするのが、楽しかったんです」
和加子さんは、当時を懐かしむように語ります。後日、その子が親と一緒に来て、野球のグローブを買うこともありました。
家でも学校でもないけれど、顔を知っている大人がいる場所。マルマツスポーツは、特に用がなくても立ち寄り、少し話をして帰れる場所でした。
これからの地域へ
▲店内の様子
最後に、これからの地域や子どもたちへの思いを尋ねると、安雄さんはこう語ってくれました。
「人口は少なくなっているけれど、この地域には知識の豊富な方がたくさんいらっしゃる。そういう先人の知恵をよく聞いて、前を向いて進んでもらいたいなと思いますね。若い頃から志を持たせることが大切です。店をさせてもらう中で、それを最後まで話しきれなかったのは残念ですが、人口が少なくても、前向きな姿勢が一番大事だと思うんです」
和加子さんも、こう続けます。
「体調を崩したことをきっかけにノルディックウォークを始めたんですけど、神鍋を歩いてると、単純にすごく気持ちいいんです。かつてマルマツスポーツの山小屋があった場所の近くを歩いていると、今まで聞いてきた話が全部リンクしていくような感じがするんです。歩いたり、スキーをしたり、スポーツやアクティビティを通して、その地域の良さを知るっていうのは、めちゃくちゃあると思うんです。車で走っただけじゃわからないことが、歩いたらわかったりする。ここにしかできない、地域ならではのものを大事にしたいですよね」
思い出が戻ってきた3日間
▲閉店セールのチラシ
話は、6月の閉店セールに戻ります。
レジのそばでは和加子さんが持ち前の明るさで、お客さん一人ひとりに声をかけていました。笑顔で話し、笑って送り出す。閉店セールだというのに店の空気がどこか軽やかだったのは、和加子さんのおかげだったように思います。
閉店は、やっぱり寂しい。けれど、店の中に流れていたのはしんみりした空気ばかりではありませんでした。みんなどこか楽しそうで、「ありがとう」と「お疲れさま」が、あちこちで笑顔と一緒に交わされていました。
その後のインタビューで、和加子さんが涙ぐみながら話してくれたのが、あの「田んぼでこけた」中学生たちの後日談でした。
「用もなくお店に立ち寄って、田んぼでこけた話をしに来ていた中学生たちの話をしたでしょ。その中の一人の子が、閉店セールに来てくれたんです」
閉店セールの最終日、花束を持って店に現れた、あの頃の中学生。今では、もう高校生の子どもがいる年齢になっていたそうです。
「『本当に、青春の心の店だったんです』と言ってくださって。『お疲れさまでした』って、花束を渡してくれました。一つの小さなスポーツ用品店ですけれども、この地域で商売させてもらい、みんなの役に立ててたんだと、そう感じましたね」
「商品が売れることよりも、来て話をしてくれることが一番うれしかったです」
和加子さんは、閉店セールの3日間を、そう振り返ります。
店はなくなっても、残るもの
▲マルマツスポーツの外観
マルマツスポーツは閉店します。でも、この店が地域で培ってきたものまで、すべて消えるわけではありません。
スキー教室に通った子どもは大人になり、自分の子どもを雪の上へ連れていくことができます。店で初めてのバットやラケットを選んでもらった人は、スポーツを始めたときの気持ちを、次の世代へ伝えることができます。
店を出ると、娘は買ったばかりのラケットを胸に抱えて、何度も袋の中をのぞいていました。その嬉しそうな顔を見て、ふと思いました。かつて僕が父にバットを買ってもらった日も、きっとこんな顔をしていたのだろう、と。
安雄さんと和加子さんのお話を聞いて、僕が思ったのは、この店が売っていたのはスポーツ用品だけではなかった、ということです。
スポーツを始める子の背中を押す大人がいて、用もなく立ち寄っても迎えてくれる場所があった。それが、この町のスポーツを支えてきたのだと思います。
たくさんのお話を聞かせていただき、そう確信することができました。




