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たんしん演劇部の記録 ~演劇祭を作る側の人から見たたんしん演劇部~

たんしん演劇部の記録

豊岡演劇祭2025の中で上演された、たんしん演劇部による「金庫よ、信用にあたれ!」はありがたいことに、観に来てくださった方から「面白かった」「よかった」という声をたくさんいただきました。

でもそれだけじゃなくて、公演が終わったあとにいろんな人と話をする中で、思っていた以上にあちこちで話題になっていたことや、見る立場・関わる立場によって様々な感じ方があったことが見えてきました。

せっかくなら、この公演が何を残したのかを記録として残したい。
そう思って、さまざまな立場で関わった人たちに話を聞き、その視点や言葉を記録としていくことにしました。

この記事を通して「豊岡ってこんなことが起きているんだ」という、まちの魅力の一部が伝われば嬉しいです!

これは豊岡でしかできない挑戦だった

豊岡演劇祭でエグゼクティブ・プロデューサーをつとめた河村竜也さん

―まず、たんしん演劇部が「演劇祭に出たい」と申し出てきたときのことを教えてください。

河村さん:
率直に驚きました。だって金融機関が、ですよ。
でも話を聞いていくと、但馬信用金庫の専務さんがとても前向きで、

「芸術文化観光専門職大学の卒業生が会社に入ってもやりたいことを諦めなくていい。そういうロールモデルになりたい」

とおっしゃったんです。
その言葉を聞いたときに「これはぜひ成功してほしいな」と思いました。

「豊岡らしい」作品だった

―今回の作品で、どんな部分に可能性を感じましたか?

河村さん:
まず、地元の金融機関と芸術文化観光専門職大学の卒業生が一緒に舞台を作り上げていくという、構図そのものに可能性を感じました。
普段は交わらない立場の人たちが、同じ空間で演劇の創作をする。
しかも、その舞台が実際の金融機関の窓口だった。

その時点で、もう十分に“豊岡らしい”作品になっていました。

教員としても、卒業生が地元の企業で働きながら自分の得意分野を生かして舞台をつくる姿を見られたのは、素直にうれしかったですね。

「演劇祭が、ここまで来たんだな」と感じました。

自信を持って立つこと

―リハーサルを見たときは、少し不安もあったとか。

河村さん:
はい。最初に通し稽古を見たときは、「やろうとしていることはすごく面白いのに、まだその良さが伝わりきっていないな」と感じました。
アイデアも熱量もあるのに、演者の皆さんが少し自信なさそうに見えたんです。

ただ、この作品には演技の技術や演出の完成度とは別の魅力があると信じていました。
だからこそ「自信を持って演じることが何より大事だ」と、伝えました。

みんなが見ていたのは舞台だけじゃなかった

―そのあと、本番はご覧になれていないんですよね。

河村さん:
他の現場に行っていたので、当日は見られなかったんです。
でも、公演が終わったあとに街の人や演劇祭のスタッフからたくさん感想が届きました。
「めちゃくちゃ面白かった」「感動した」と。

話を聞いていると、みんなが見ていたのは“劇そのもの”だけじゃなかったんですよね。
そこに至るまでの5〜6年ー
演劇祭が始まり、大学ができて、学生が街に出て、最初はちょっと距離があって…

そうした時間の積み重ねを、今回の作品を通して一緒に見ていたんだと思います。

だからあれは、単発の公演の成功というより、
「こういうことを起こすために演劇祭をやってきたのか」
と、いろんな人が実感した瞬間だったんじゃないでしょうか。

 

―“こういうことを起こすためにやってきた”というのは?

河村さん:
都市のフェスティバルでは、なかなかできないことです。
地元の金融機関が自分たちの建物を開け、そこに大学の卒業生が関わり、街の人が見に来て、海外からのゲストまで感動している。
すべてが、豊岡の中でつながって成立している。

これは、お金をかけて有名な作品を呼ぶのとはまったく別の価値です。
地域でアートをやるとはこういうことだ、と。
世界に胸を張って言えるモデルになったと思います。

 

―今回の取り組みをきっかけに、「うちもやりたい」という地域の人が出てきたら?

河村さん:
それはもちろん大歓迎です。
でも、「地域だからOK」というわけでもないんです。
今回だって、もしたんしん演劇部がシェイクスピアをやると言ってきたら通っていなかったと思います(笑)。
※たんしん演劇部は、フリンジプログラム(公募型プログラム)に採択され上演した。

「なぜ、ここでその作品をやるのか?」
そこにちゃんと答えがあるかどうか。
今回のたんしん演劇部は、それが最初からはっきりしていました。
「卒業生のロールモデルになりたい」。
その想いと場所の特異性ががっちり噛み合ったから、採択されたんです。

 

―今回の経験を通して、どんなことを感じましたか?

河村さん:
この出来事を通して、豊岡演劇祭が目指してきた形がようやく見えた気がしました。

大きな予算や派手な演出じゃなくても、
まちにある関係と人の想いで、世界に届く表現ができる。
そう確信しました。

~~~~~~~~~~~

いかがでしょうか?

僕達は
「お客さんを楽しませたい」
その一心で舞台を作りました。

それが、結果的に予想外の価値も生み出せていた事を知り、とても嬉しく思いました。

今回は、もう1人の「演劇祭を作る側の人」のインタビューをご紹介します。

たんしん演劇部が残したもの

豊岡演劇祭2025でフリンジ部門のプロデューサーを担当した松岡大貴さん ©トモカネアヤカ

ー松岡さんが担当したフリンジ部門について教えて下さい。

松岡さん:
フリンジ部門は、地元の市民や団体、そして全国から集まるアーティストが同じ土俵で作品を発表できる場です。
市民の挑戦も実験的な試みも、経験や立場に関係なく並べられる。
この「混ざり合い」そのものが、フリンジ部門の大きな特徴です。

たんしん演劇部もこのフリンジ部門で参加していただきました。

演劇祭が目指している未来

―演劇祭が目指していることを教えてください。

松岡さん:
演劇祭の目的には、短期的な視点と長期的な視点があります。
短期的には、毎年の公演を通して観光や交流を生み出すこと。
そして長期的には、演劇という文化がこの地域に根づいていくことです。

豊岡で生まれた人がここで育ち、いずれ演劇や文化に関わる。
そのような循環が生まれていくことが、理想だと思っています。
演劇祭は、一年限りのイベントではなく、時間をかけて地域の中に文化を残していくための取り組みなんです。

驚きと予感

―そんな中で、「但馬信用金庫が演劇部を立ち上げて出演したい」と聞いたとき、どう感じましたか?

松岡さん:
正直、最初に聞いたときは驚きました(笑)。
「金融機関が演劇を?」と。

でも同時に「これはすごく面白いことになるかもしれない」と感じたんです。
地元の信用金庫が、自分たちの職場を舞台に演劇をする。
しかも、出演者や制作メンバーには芸術文化観光専門職大学の卒業生が関わっている。

地域の金融機関と、地元で学んだ若いアーティストが力を合わせて作品をつくる。
それは、まさに演劇祭が目指してきた姿でした。

もちろんクオリティや安全面など、懸念がなかったわけではありません。
でもそれ以上に、挑戦の意義が圧倒的に大きかった。
「地域の人が自分たちの場所を舞台にして表現する」
そのこと自体に、すでに価値があると感じていました。

挑戦が作品になっていく

―フリンジ枠は、全国や海外からも応募があって“激戦”ですよね。

松岡さん:
そうですね。応募数は多く、毎年かなりの倍率になります。
プロの劇団や海外からのアーティストも多い。
その中で、地元の金融機関が挑戦するというのは各地で開催されている演劇祭を見てもかなり異例のことでした。

だからこそ、採択されたこと自体に大きな意味があったと思います。
地域の挑戦が、プロの作品と同じ土俵で評価される。
それは、演劇祭にとっても次のステップを示す出来事でした。

 

―リハーサルを見て、どんな変化を感じましたか?

松岡さん:
最初の通し稽古を見たときは正直、少し心配になりました。
みんな一生懸命なんですが演出がまだ整理しきれていなくて、
「お客さんの前に出るまでにもう少し整える必要があるかもしれない」と感じたんです。

でも通し稽古を重ねるごとに、作品がどんどん良くなっていきました。
セリフのテンポや笑いのリズムが噛み合ってきて、
チーム全体がひとつの方向に向かっていくのが伝わってきた。

「ああ、これはきっと本番で化けるな」
そう思いました。

演劇祭にもたらしたもの

―実際の本番を終えて、どんなことを感じましたか?

松岡さん:
本番は残念ながら見られなかったのですが、終演後すぐに評判が耳に入ってきました。
「すごく良かった」「感動した」という声が本当に多くて。

金融機関の人たちが自分たちの職場を舞台にして、
笑いを交えながら人と人との関係を描いている。
その“ギャップ”が、演劇の持つ力をとてもよく表していたと思います。

観た人の感情を動かし、笑いと涙を同時に引き出す。
それはもう立派な演劇作品でした。

 

―たんしん演劇部の取り組みを通して感じたことは?

松岡さん:
単に一つの作品が成功した、という話ではないと思っています。
地域と演劇祭の関係がもう一段深まった出来事だった。

地元の企業が挑戦し、
そこに若い世代が関わり、
市民がその舞台を観に来る。

この流れこそ、演劇祭がずっと描いてきた理想の形です。

 

―改めて、今回の経験をどう位置づけていますか?

松岡さん:
演劇祭は、完成された形を守るイベントではないと思っています。 毎年どんな挑戦が生まれるかで、姿が少しずつ変わっていく。 たんしん演劇部の挑戦は、その“変化”を一歩前に進めてくれた出来事でした。 この経験がこの先どんな挑戦につながっていくのか。 それを見るのが今はとても楽しみです。

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今回は「演劇祭を作る側の人」の2人のインタビューをご紹介させていただきました。

今僕が伝えたいのは「たんしん演劇部が面白かった」という事実そのものだけではありません。

豊岡がこんな異例の挑戦が生まれるまちであるということ。
そして、その挑戦を受け入れてくれる空気がこのまちにはあるということ。

それこそが、今回のインタビューを通して見えてきた豊岡の大きな魅力でした。

別に演劇に興味がなくてもいいんです。

でも、誰かの「やってみたい」を受け止めてくれるまちってめちゃくちゃ良くないですか?

だからぜひ、一度この街を訪れてみてください。
きっと、舞台の外にも、面白い物語が転がっています。

この記事を書いた人

まつじゅん

2024年6月に埼玉から豊岡に移住してきました!現在は豊岡市の地域おこし協力隊として活動しています。
移住前は東京でお笑い芸人として活動していました!(メインの収入はアルバイト!)
こちらでは、妻の出身に移住してきた男性、いわゆる【妻ターン夫】のお話を紹介していきます。
よろしくおねがいします!

https://toyooka.adalo.com/ido

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