私が豊岡に馴染めた理由~バンドを始め、仲間と出会い、音楽の力を知る

私は、豊岡を拠点に活動する3つのバンドで唄わせていただいています。

なぜ、豊岡で音楽活動を行っているか?

それは本当に些細なきっかけでした。

 

20代で神戸からUターンした私は、

バンドとは無縁でどちらかというと、

なんとなく日々を過ごしていたように思います。

 

ある日、友人から「私、バンド組んだからコーラスしてほしい」と頼まれました。

この時は、唄うことに自信がありませんでしたので、丁重にお断りしました。

しかし彼女はとてもしつこくて、バンドのリーダーも引っ張り出して一緒になって勧誘してきました。

とにかく、自信がない私はあれこれ理由をつけて断りましたが、

”一回だけ”という約束で、

渋々ライブに出ることを了承しました。

 

そもそもコーラスのみ!なんて恥ずかしいパートが要るのか?と尋ねたところ、

演奏しながらコーラス出来るメンバーがいないから、という信じられない言葉が返ってきました。

案の定、私の嫌な予感は的中し、

随分恥ずかしいパートでの初ライブとなりました。

 

ただ立ち尽くしているのは恥ずかしいので、思い切って揺れたり跳んだりしてみました。

それが思いのほかウケるではありませんか。

その後、ボーカルの娘がバンドを抜けたのを機に、

「お前がボーカルしろッ!」てことで、ボーカルに抜擢されてしまいました。

 

唄は下手でしたけど、唄うことは大好きだった私は、

揺れたり跳ねたりするパフォーマンスが受け入れてもらえたのが嬉しくて、

楽しくなって、気付けばどっぷりバンドにはまっていました。

 

これも、今思えば、

豊岡という地方の土壌のおかげかもしれません。

但馬の人たちは、オーディエンスも本当に素直で正直。

基本的にはシャイだけど、楽しいものは楽しいと受け入れてくれる度量が都会よりずっと深い気がします。

だからすんなりと、どっぷりと、バンドの魅力にはまっていったように思います。

 

そこで、今回は私が故郷・豊岡に馴染めた大きな要因である自身の音楽活動…

なんだかしっくり馴染んだバンド活動について少しお話させてください。

「ヌーピーズ」

ニュアンスとフィーリング重視のパーリィバンド

 

「JoLT(ジョルト)」

ギター、ベース、ドラム、ボーカルの4ピース・ロックバンド

 

「つむじ風楽団」

ロックバンド「JoLT」のアコ-スティックチームだったはずが気付けば独り歩き

 

音楽の力を知る

ヌーピーズとして活動をしていた2015年の暮れ。

バンドメンバーから、結婚を機に離脱しなければならないと知らされ、

その時まで考えてもいなかった“ヌーピーズが出来なくなる”ということを現実として突き付けられました。

ヌーピーズとして自由に動ける残りの時間を、何かしらの分かりやすい形で残したい、

このバンドで何かに挑戦したい!と漠然と考えるようになりました。

 

そして、 “エマージェンザ”(アマチュアバンドのための世界最大規模のライブコンテストで、日本大会で優勝するとドイツの野外フェスTAUBERTAL FESTIVALに出場できる)ならヌーピーズのスペック的(環境や当時の集客におけるスタミナを含んだ)にも可能性があるんじゃないかと判断、メンバーを口説きました。

やるからには可能な限り妥協したくないし、みんなにもいろんなことを、厳しいことを命令的に求めるだろうこと、

バンドとして活動できる半年間はバンド最優先で頑張ってくれ、覚悟してくれないと闘えない!!と説明しました。

メンバーは二つ返事で「必死でやる」と約束してくれました。

こいつらとやれて良かったなぁと嬉しくなったのを覚えています。

 

目指すは”ドイツ”ではなく、あくまでも決勝の舞台、千日前『味園ユニバース』。

中でも、最大に力を注ぐのは準決勝、『阿倍野ROCK TOWN』。

そして、阿倍野ROCK TOWNは、まさかの2位で通過を果たし、

夢に見た『味園ユニバース』に出演することが出来ました。

 

本当にたくさんの方に支えて頂けたからこそです。

エマージェンザに挑むプロセスの過程でたくさんの素晴らしい方たちと知り合えた。

それが一番の財産だったと、いろんな活動の中で感謝の絶えない日々です。

仲間との出会い

ロックバンド「JoLT」での話。

ギターは豊岡のカフェで偶然再会した、以前勤めていた会社の同僚。

彼がいてくれたから、いまだにバンドが出来ています。我が心のギタリスト。

 

ドラムは、彼が高校生のころから目をつけていて卒業と同時にバンドに誘いました。

特に但馬は、ドラマーの数が少ないので、いいドラムとなると本当に希少です。

誘うとき、その返事を待つ間のドキドキはまるで恋のようでした。

今も彼のドラムに恋しています。

 

ベースはJoLTで唯一、メンバーチェンジを繰り返しているパートでした。

やっと出会えたラストピース。

自分が求めていた、理想のベーシスト像を具現化する一人です!

 

10年前にバンドを結成した当時は、但馬近郊のバンドシーンについて、

いい意味で地域密着型、悪くいえば酷く閉鎖的なシーンだと当時の自分は感じていました。

地元のシーンも大切にしつつ、それでも関西のバンドシーンにも飛び込んで行きたいと思っていました。

 

それから徐々に活動の幅を京阪神にも広げ、260組のオーディションを突破し「COMIN’KOBE’10」に出演。

それがきっかけでバンド内の軋轢を生むことにもなりました。

身に余る状況に、当時の自分たちは飲まれていたんだと思います。

しかし、雨降って地固まる。

結果的にバンドは結束を深めて、10年経った今も、集まれば楽しく音で遊べるかけがえのない仲間となりました。

現在は、ギターの家庭の都合も考慮しつつ京阪神の都市部から、地元豊岡のライブハウス「デイライト」を拠点に但馬近郊での活動にシフトしております。

 

今回は簡単にでしたが、Uターンした私が地元に残りたいと思えた大きなファクターの一つ「バンド活動」についてお話をさせていただきました。

豊岡にはバンドに限らず、ダンスやよさこい踊り、ジャズや吹奏楽、ブルースや民謡、それに陣太鼓等々、様々な音楽がいろいろな人の周りに溢れています。

そのとてもディ―プで独特な文化は、都会で埋もれがちだった自分の個性を強く刺激してくれましたし、それを表現する場所も与えてくれました。

 

確かに不自由な田舎かもしれない。

でも、だからこそいろいろなことにイチからチャレンジしたりもできる私のふるさと豊岡は、そんな土壌に満ちているんじゃないでしょうか。

 

それについては、またの機会にお話させていただきたいと思います。

 

この記事を書いた人

平尾仁

田舎だって言い訳だけはしたくないのが信条です。

人力ダンスミュージックバンド『ヌーピーズ』で”大好き”を叫んでいます!

そのバンドを軸に、出石の永楽館を舞台に『ジンリキソニック』という”入場無料の箱型夏フェス”を毎年開催しています。
今年の開催は9月9日。

他に『JoLT』で暴れて『つむじ風楽団』で唄っています。

『84enda.Disc Club』でアルティメットというフリスビー競技の普及活動をしています。

色んなことに興味があってとても散漫なひとです。

http://zin842.wixsite.com/noopys

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