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田舎暮らしで“夢”が実現!住めば都!豊岡!

8年前、この地に移住してきて初めての仕事が“雪かき”だった、、、

本気で“雪かき”をしたことがなかった私は、楽しさのあまり無我夢中で時間を忘れて雪かきをしていたのを思い出します。今でも好きな仕事の一つです。

私が移住してきたのは、2008年1月10日のことです。神戸市からここ兵庫県の北部にある豊岡市出石町に移住してきました。

同じ近畿圏でもこれほどにまで気温の差があり、眼前の風景は今まで暮らしてきたものとは全く違う世界!すべて遠くで見えていたものが、手に触れるぐらいに近くあり、日本の四季を体でしっかり感じられる所です。

私が生まれたのは、兵庫県神戸市須磨区、須磨浦海岸と鉢伏山に挟まれた静かな町でした。幼稚園に入る前に、父親の仕事の関係で大阪に引っ越した関係で、ほとんどの記憶は大阪にあるのですが、なぜか脳裏に須磨の山と海岸、山陽電車の大きな遮断器が強烈に焼き付いています。

大学を卒業して神戸にあるヴィンテージショップで働きました。

そして大学時代から付き合っていた彼女と結婚して、29歳で長女が生まれました。

自分の町のことを知らずに暮らすことに疑問

その頃から今後の人生をよく考えるようになりました。奥さんは美容師でしたので、いずれ独立をしたいと考えていて、子どもの生活環境や教育環境、今の借家住まいをどうするかなど、人生の選択肢が多く表れてきて決断をして行く時期でした。

また、ヴィンテージショップの仕事で海外の田舎町で買付に行き、現地の人に「君の暮らしている町はどんな町だ?」と質問され、全く答えることができない自分に気づいた時期でもありました。

自分では強烈だった風景があるはずの神戸でも、今は町のことを知らずに暮らしている自分に疑問を感じ始めていました。一児の親として「このままでいいのだろうか?」と。今となって振り返ると、日本人としての自分の存在意義と親として子どもに何を伝えていくのか、少し考えすぎかもしれませんが、自分の人生を振り返る時期に来ていたのだと思います。

答えは実は近くに

ところが、答えは実は近くにありました。このころ、よく奥さんの実家(出石町)に遊びに来ていました。ご両親が孫の顔が見たいとよく神戸に遊びに来ていたので、こちらからもリフレッシュの気分で休みがあれば、訪れていました。

3月の初午祭(はつうままつり)・4月のそば食い大会・7月の土曜夜店・8月の盆踊り・10月のだんじり祭り・11月のお城祭り・新そば祭りと祭りのたびに訪れていました。

奥さんの実家は美容室で、町のど真ん中にある店なので様々な町の人が集まって楽しそうにお話をしていました。

正直、私は心のどこかで、地方に暮らしている人々に対して、どこか寂しそうな田舎で不便な暮らしをしているというイメージを持っていました。ところが、この出石は観光地でもあるせいか、ものすごい活気に満ちていて町中に笑顔がこぼれているような印象を感じました。またお年寄りだけでなく町の若い人も様々なイベントに率先して参加していました。出石に行くたびに奥さんを介して出石の町の人たちに触れ、自分のイメージとは違う地方暮らしの姿、町の雰囲気は、自分の町に誇りと自信を持っているからだろうと思いました。

そして、この地で暮らす人々が羨ましい!!そう思うようになりました。

日本人の暮らしの中ではぐくまれた、風習や行事がこの街には残っている。出石の町にどんどん惹かれて、自然と移住を考えるようになりました。

出石ならば、自分が日本人としての誇りを持てる!

出石なら、子どもにも豊かな生活環境を与えることが出来て、奥さんのような自分が惹かれる人に育てることができる!

出石なら、奥さんの夢でもある美容院を、家を建てた1階で開業すれば、子どもが学校から帰ってきても寂しくない!

この出石に来れば、自分の人生で悩んできたことは、すべて明るく開けていく!と確信しました。

そして、移住

こうして32歳で移住し、丁度その時に第2子である長男が生まれ、家族4人での出石生活が始まりました。

私は出石に来て転職するに当たり、この惚れ込んだ地の役に立ちたいと思い、地場産業に携わる職を探していました。そんなとき「株式会社出石まちづくり公社」が出石在住の人を1名募集しているとの知らせを聞いて、実際は何をするかもわからないまま「これはいい!」と思い、すぐに飛びつきました。

ちょうどこの時、半世紀の間、使われなくなっていた近畿最古の芝居小屋 永楽館が、出石の人の手で復元するという活動が行われ、開館するときでした!

私は現在、この芝居小屋の館長をしています。

後からわかったのですが、公社もこの時、永楽館の指定管理を豊岡市から受けて、専属の職員を探していたようです。

3年前には豊岡に家を建て、予定通り1階で奥さんの美容室を開業!子育てとともに忙しい毎日です!

子どもたちは大自然の中、ノビノビと暮らしています。今年また1人増えて3人になりました。

出石に来てからは日々目まぐるしい毎日ですが、いまでは自分が移住前に感じていた疑問に答えられると実感しています。誇りと自信を与えてくれ、町の一員になれたと実感します。そして、仕事が町の活性化に繋がっているので、やる気が湧いてきて頑張れます!!

子どもにも自分のしている仕事に誇りをもって伝えることができるようになりました。

今、奥さんによく言われることがあります。「あんた、こっちきて本当に良かったな~。神戸に暮らしている時よりイキイキしてるで!」。

これからも出石で骨をうずめて一生暮らせれば幸せです。

今回は出石に来るまでを描かせて頂きましたが、次回は移住してからをかかせていただきます。

この記事を書いた人

赤浦毅

神戸市内のアンティーク専門店のバイヤーとして、世界中を買い付けして回っていたが、長女の誕生を機に、妻の出身地である豊岡市出石町の城下町情緒と自然の中で子どもを育てたいと移住を決意。現在は、明治34年に開館した近畿最古の芝居小屋「出石永楽館」の館長として勤務。片岡愛之助さんが出演する「永楽館大歌舞伎」の中心の一人として、日々奮闘している。

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