復活した神鍋火山祭り。若者たちの思い。

2017年8月、豊岡市も夏本番を迎えています。

この時期になると、全国で最高気温ランキング常連の豊岡市が、夕方のニュースに取り上げられることは豊岡あるあるの一つです。

豊岡駅前の横断歩道でうちわを仰いで信号待ちをしている女子高生や、タオルで汗を拭いているおじさんはテレビに映る可能性が大!

また、豊岡駅に設置してある温度計は、気温が30度を超えると「暑がり玄さん」のパネルが飛び出す仕掛けとなっています(ちなみに気温が5度を下回ると「寒がり玄さん」のパネルが飛び出します)。

▲豊岡のゆるキャラ、玄さんが暑がっている様子

そんな日に豊岡に来られた際は、是非ご自身の目で確かめてみてください。

夏祭りの季節です。

さて、そんな夏の風物詩が多い豊岡市でも毎年恒例の夏祭りがいくつか行われます。

今年は

7月9日     第39回神鍋火山祭り

7月23日   2017日高夏まつり

7月30日   第47回たけの海上花火大会

8月1日〜2日   豊岡柳まつり

8月4日   城崎ふるさとまつり

など、豊岡だけでも毎週のように夏祭りがありますし、豊岡市近隣の市町でも楽しいお祭りが目白押しです!

今回はその中から、私が暮らす神鍋高原で行われている、よさこい踊りや地元の子どもたちや関係団体のステージ、抽選会、花火などで賑わう神鍋火山祭りのお話をします。

神鍋火山祭りの思い出

神鍋火山祭りは、私が生まれる前からずっと行われています。

小学生の頃は通っていた学校の金管バンドでパレードしたり。

中学生の頃は家の仕事の手伝いをそっちのけで、友達と祭りに出かけて親に怒られたり。

高校生の頃は当時かっこいいと思っていたおしゃれをして出かけたり(みんなそんなものですよね…?)。

そんな思い出いっぱいのこのお祭りは、大学生になり、神鍋を離れると徐々に、行かなくなりました。

地元に戻ってサラリーマンをしていても、仕事が忙しく、

「あ、今日祭りだったんだ」と、当日気づくようなありさま。

それから数年が経ったある日、予算不足・後継者不足により活動人員不足となり、イベント継続が難しくなったため、今から5年前、2012年に行われた第37回をもって休止となると聞きました。

神鍋山と火文字

▲第38回神鍋火山祭りの神鍋山の火文字と花火

神鍋火山祭りの休止が決まった翌年から、日高神鍋観光協会と地元住民の方々によって、小規模ながらも祭りを続けたいという思いで「火のまつり」が続けられました。

不思議なもので無くなって初めて気づくというか、私もその祭りには行くようになっていました。和太鼓を中心とした見ごたえのあるお祭りでした。

神鍋火山祭りから火のまつりへと変わり、規模は小さくなっても、神鍋高原の誇りである神鍋山の火文字は絶やさず燃やし続けました。

そんな中、私のようにかつての神鍋火山祭りがなくなってしまったことを惜しむ人もいました。

 

そして、立ち上がった若者たち。

神鍋で暮らす若者たちの提案と行動をきっかけに、次第に賛同していただける方々、協力していただける皆さまが集まり、大きな力の輪になりました。

私もサラリーマンを辞めて実家の民宿の仕事をした時に、声をかけられそのプロジェクトに入れていただきました。

みんな自分の時間を削り、どうしたら神鍋火山祭りが盛り上がるか、来ていただける方々や地元住民の皆さんにどう楽しんでもらおうか、ご不便をおかけしないために何をすべきか、意見をぶつけ合いながらも話し合いを重ね、時には深夜に及ぶまで作業をし、準備を進めました。

 

そして昨年、神鍋火山祭りが4年ぶりに第38回として復活しました。

装いも新たに、神鍋高原の誇りである火文字が次の世代へ引き継がれました。

思いを繋いだ若者たち

▲イベント広報委員会メンバー

若者たちというのは、日高神鍋観光協会のイベント広報委員会と呼ばれるメンバー。

メンバーは、日高神鍋観光協会に属し、神鍋で仕事をし、暮らしている30代前半〜40代前半の7、8人で構成されています。

民宿の後継者や、観光に関する仕事などをしている人たち。

かつてのスキーブームでは神鍋高原も民宿が多かったのですが、今や民宿の数も全盛期の半分以下。

家族経営の民宿ばかりで、後を継ぐものがなく、周りはだんだんと廃業されています。

それでも、神鍋高原での仕事を選び、自分の仕事だけではなく、神鍋高原の発展のためにと頑張るメンバーたちです。

 

そしてメンバーの考えに同調し、同じように復活を望んでいたもう一つの若者たち。日高町で事業を行う豊岡市商工会青年部日高支部の大きな力も加わりました。

神鍋高原の未来のために

▲火山祭りのフィナーレ

神鍋高原に「活力・想像力・感動を」と、復活した神鍋火山祭りですが、一度イベント広報委員会の委員長の別の思いを聞いたことがあります。

「自分たちが子どもの頃に楽しんだ神鍋火山祭りの感動を、今の子どもたちにも与えてあげたい」と。

一度やめてしまった祭りの復活は難しく、全てがうまくいくわけではありませんでした。それでも実現できたのはもちろんメンバーの力だけではありません。いろんな方々に賛同をしていただき、力になっていただきました。周りの方々のご協力やご支援があってこそ。

神鍋火山祭りの復活を望んでいる人は少なくなかったのです。

 

復活初年度の第38回は予想を上回るたくさんの方にお越しいただきました。

今年行われた第39回は悪天候の中でしたが、かつての神鍋火山祭りから続く火文字は、雨にも負けずにしっかりと燃えてくれました。

 

「こんな田舎だからこそ、できることがある」と思った瞬間でした。

 

生まれた町の未来のために、神鍋の若者たちはこれからも挑戦を続けます。

この記事を書いた人

飯田 勇太郎

実家の民宿のあとつぎ。
高校まで豊岡市で過ごし、大学進学とともに神戸へ。大学、就職を経験し、地元である神鍋にUターン。
その後、旅行会社に就職し、30歳を機に家の仕事をつぐ。
趣味は音楽鑑賞、ライブ鑑賞。

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