2度目の豊岡へUターン。彫刻に生きる若手作家「2B Works(にーびー わーくす)」美藤圭(びとうけい)さんの移住の仕方

ご覧頂きありがとうございます。豊岡でフリーランスとして活動している岡村と申します。私は、私と同様に個人で活動をしている若手事業者を紹介していきます。

Uターンしてまだ1年。副業は一切されていません。
美藤さんはこの豊岡市に29歳で工房を構え、純粋に彫刻作家として収入を得ています。

高校卒業後、地元豊岡市を離れた美藤さんは、実は8年前の22歳の時に一度豊岡市に戻ってきていました。そこから2015年、29歳の時に豊岡市に戻ってくるまで何があったのか。高校卒業後からの半生を掘り下げます。

ものづくりに関心があった美藤さんは、進学のため高校卒業後に岐阜県は飛騨高山へ移住しました。そこにはデザインの仕事につきたいという思いがあり、家具の日本唯一の専門学校『飛騨国際工芸学園』へ進学、家具のデザインと制作を学んだそうです。

美藤さんがこの学校で教わったことは、単純にデザインや制作の技術だけではありません。「設計→完成→販売」の一連の流れ、つまり卒業後に職人・デザイナーとして「どうやって食べていくか」という、よりリアルな経営・販促方法を学ぶことが出来たそうです。

そもそも岐阜県飛騨高山というところは、職人が手間隙をかけてものを作り、その作ったものを利用する人がいるという流れが出来上がっています。そこには飛騨産業をはじめとした大手メーカーが培ってきたブランド力と、それを愛する地元民との信頼関係が根底に存在しています。単価が高くても価値のあるものを利用するという風土がしっかりあるため、それを提供する側の職人さんたちが事業を始めやすい環境が整っているのだそうです。そんな環境の下で彼は2年間学びました。

22歳の時、美藤さんは一度豊岡に戻ってきました。しかしこの関西では、材料の仕入れにも、商品を販売する場所を見つけることにも苦労しました。この時はまだタイミングではなかったのか、美藤さんは再び岐阜へ戻ることになりました。

そして7年後。機械設備を揃え、ひとつの確信を持って再び豊岡へ戻ってきました。美藤さんにとって岐阜での7年間は豊岡へ再度Uターンするための大切な準備期間でした。岐阜県で大手の家具屋の工場で働き、流れ作業のためやりがいには欠けるものの、ここでお金を蓄えました。そして作業用の小屋と機械設備を購入し、平行して自分の仕事も進めたそうです。

ただ、また豊岡へ戻るにしても前回と状況は変わりません。材料の流通が整っておらず県外からの仕入れが高くつく。販売についても、岐阜県に比べてこだわってお金をかけるという文化がない。しかし美藤さんにはある確信がありました。

それが現在活動の中心になっている「彫刻」でした。
彫刻を作るきっかけは1回目のUターンの時。近所のおじさんの依頼で、囲炉裏の上に飾る魚の彫刻「自在鉤」を作成して納めたこと。
その後東京や岐阜で行った展示会で作品が売れた経験が「仕事としてやっていける」確信に繋がり、再び豊岡へ帰るきっかけになりました。

独立しようと岐阜県のメーカーを退社してから初めて作った作品は、なんと文部大臣賞を受賞したそうです。
題名は「雲をつかむような話」。「思い描いたその夢は意外と手の届くところにある。」自分の考えていることは人につたわり、その魅力はいろんな色で見え隠れする。頭の上の雲は極彩色に塗ったものを白で塗りつぶしていますが、所々に色が見えている。そんな作品です

飛騨高山に比べて、職人や販売についての土壌が出来上がっていないこの地元で、どうやって生計を立てているのか。そこには時代や流行の波と上手くマッチして生まれたビジネスモデルがありました。それはSNSを活用した1人でもできる宣伝戦略でした。

美藤さんの作る彫刻は、豊岡市にある工房から生まれています。その工房から、まずは2B鉛筆を動かし、イメージを作ってから作業に入ります。「2B Works(にーびー わーくす)」の名前の由来はそんなところにあるそうです。

美藤さんは木材を使った制作だけではなく、イラストを描くことも得意としています。当初ポストカードの販売もしており、このころの売上はこのポストカード分くらいで月商400円だったとのことです。

美藤さんがネットを活用し始めたのはこのころから。事業を初めてからSNSでの宣伝を開始。その時、丁度流行り始めていたInstagramから大きな反応が得られました。Instagramで作品をどんどん配信し、関心を持った方とのやりとりはGmailで。その月は売上が10万円台にのぼり、そこから勢いを付けていきました。

Instagramで作品が広まったことにより、お客様の一人がフレンチブルドッグ専門誌「BUHI」にその写真を宣伝したことで、誌面に掲載されました。その雑誌の活躍されているカメラマンさんからもご注文頂き、その方のブログからも波及していき、どんどんオーダーが増えていきました。

美藤さんの努力と様々なめぐり合わせがあり、現在に至ります。

美藤さんが豊岡に帰ってきて感じたことは「豊岡には足りていないことがたくさんある。だからやることがたくさんある」ということだそうです。

売り場がない、人が来ない、仕入先がない…。ここだけ見ると問題であるかのように感じますが、「ない」という事は需要さえあれば仕事にできるということ。

現在活動の主軸は木彫ですが、展示会をあちらこちらで開いているおかげで、イラストや看板、家具修理等色んな枝葉的な仕事も増えました。個人で活動しているのでフットワーク軽く柔軟に、肩書きは木彫にこだわらず「クリエイター」にしました。

「やれる事はなるべくやる。おもしろい事には足を突っ込む精神でやってると、色々繋がってきて面白いです。」

そう言った美藤さんはさらにその先に海外を視野に入れていました。

「ドイツに呼ばれたい」

海外で展示会が出来れば、日本でも活動しやすくなる。
枠にはまらず型にとらわれず、自分のやり方で歩んでいる美藤さんなら、地域や国といった枠すらも関係なくどこででも輝けると感じました。

この記事を書いた人

岡村直昭

Naoaki Okamura
情報発信ツール企画制作運営。 2011年起業。兵庫県北部但馬地域のフリーランサー。山の中で自給自足の生活をしながら仕事をする事が理想。イラストが得意。ガジェットが好き。

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